ひとこと広場

       

皆さんの意見、絵手紙、川柳、疑問、問題提起など何でもお寄せください

氏名は希望により実名またはイニシャルなどを公開します

投稿先など詳しくはこちらへ







O-53


2016年 5.3憲法集会      

むのたけじ
さんのスピーチ




2016.5.07


事務局
小林 稔治

 5月3日の憲法記念日に当会は憲法記念日・九条ウォークを地元で行いましたが、有明で5.3憲法集会も開催され、5万人が参加し、請願署名が1200万筆集まったことが報告されました。この集会に参加した私の友人が
「むのたけじ」さんのスピーチに感激してテープから聞き取って文章化して送ってくれましたので、みなさんにも紹介します。

 むのたけじでございます。今日の集まりは戦争を絶滅させる目的を実現出来る、その力を作る集会です。でもこの会場にお集まりの方々の中で、満70歳より若い方々は戦争がどういうものかを、国内で体験する機会を持ちませんでした。私はジャーナリストとして、戦争を国内でも、海の外でも経験しました。そういう年取った人間として、より若い方々の為に、短い時間ですが、三つのことを申し上げたいと思います  
 まず戦争とは何か。これは常識では考えられない「狂い」ですね。私共は従軍記者として出かけたから武器をひとつも持っていません。それでも日本軍の行動している場所で取材活動をやれば兵隊と全く同じ心境になります。それは何かと言えば、相手を殺さなければ、こちらが死んでしまう。死にたくなければ相手を殺せ。
戦場の第一線に立てば、もう神経が狂い始めます。これに耐え得るのは、せいぜい三日くらいですね。後はもう、どうとでもなれ、本能に導かれるようにして、道徳観が崩れます。だから何処の場所でも戦争があると、女性に乱暴したり、物を盗んだり、証拠を消すために火をつけたりする。これが戦場で戦う兵士の姿です。その兵士を指導する軍のお偉方は何を考えるか? どこの軍隊も同じです。敵の国民を出来るだけ沢山、出来るだけ早く殺せ、その為に部下を働かせろ、すると勝てるのです。これが戦争の実態です。
 こういう戦争によって社会の正義が実現出来るでしょうか? 人間の幸福が実現できるでしょうか? 出来る訳はありません。だからこそ、戦争は決して許されない。それを私達古い世代は許してしまいました。しかも戦争の進め方は誠に恥ずかしい姿でした。日清戦争以来10年毎に戦争を続け、昭和6年の満州事変から15年戦争をやって結局ナチスドイツと東条ファシズムの日本とは一緒くたにされて近現代戦に例の無い無条件降伏、条件無しの敗北で戦争を終わらせました。何―んとも申し訳ない! 特に私共のように新聞の上梓に携わって真実を国民に伝えて道を正すべき人間が何百、何千人と居て何も出来てなかった。これは何故なのか? 二番目に申し上げたいと思います。

 戦争を始めてしまったら、止めようがないということ、力説したいのです。明治憲法と言われた大日本帝国憲法は、最も古めかしい君主制度の下で我々国民は憲法の中で、国民とも人民とも言われず、「臣民」、家来でした。戦争が始まってしまって、もし国家の方針に反対することを言ったり、書いたりすれば、治安維持法で無期懲役ないし死刑が決まっていた。そういう状況だったんです。二番目の今皆さんに言いたいことは、本当に無様な戦争をやって、無様な尻ぬぐいをして、そして残ったのは何か? 憲法9条です。憲法9条は二つの顔を持っています。マッカーサー司令部の方から見れば、ナチスドイツとファッショの日本は、国家としては認めない。だから交戦権は認めない、戦争はやらせない、軍隊は持たせない。本当に泣いても、悔いても足りない程の屈辱だったはずなのに、古い私達日本人はそれを感じ取りませんでした。そして何か、私もその一人ですが、この憲法9条こそは、人類に希望をもたらす、そういう受け止め方をした。そして70年間、国民の誰をも戦死させず、他国民の誰をも戦死させなかった。これが古い世代に出来た精一杯のことです。道は間違っていない。じゃあ、終わりにどうなるのか? 私は今国連に加盟している約200カ国の、どこの国の憲法にも日本憲法9条と同じ条文はありません。日本だけが孤児のように、あの文章を高く掲げて、こうして働き続けているのです。

 これが通るかどうか? 必ず実現する! 断言します。それは、この会場の光景が物語っています。御覧なさい、若いエネルギーが燃え上がっているじゃありませんか! 至るところに女性達が立ち上がっているじゃありませんか!これこそ新しい歴史が大地から動き始めたことなんです。
 とことん頑張り抜きましょう! 第3次世界大戦を許すならば、地球は動植物の大半を死なせるでしょう。そんなことを許す訳に行きません。戦争を殺さなければ、現代の人類は死ぬ資格が無い!この覚悟を持って、とことん頑張りましょう!
                           (むのたけじさん:ジャーナリスト 101才)                     



O-52


私の戦争体験 その2


2014


 T


 私は昭和3年生まれ、86才。戦前、戦後を通じて千鳥町に住んでいます。16才で国民学校卒業後、貯金局に勤務していましたが、昭和19年5月理髪業を営む兄が召集となり、家業を継ぐべく、資格をとるため、浅草の理容学校に入学。兄は赤紙が来たとき、「俺が往くようでは、日本は終わりだなあ」と言っていました。既に店の椅子の金具までも供出していたのです。結局兄は、フィリッピン・ミンダナオ島で力尽き、戻ってきたのは遺骨代わりの砂でした。

 昭和20年3月10日理容学校の卒業証書を受け取りに浅草に行きました。それまでも空襲は経験していましたが、さしたる被害もなく近隣の人達と近所の高台の崖に横穴の防空壕を掘り、空襲警報が鳴るとその間入ってやり過ごしたものです。
 本当の戦争を実感したのは、昭和20年3月10日。
 
 前日3月9日の東京大空襲を受けた被災地での体験でした。黒こげの焼死体、防空壕で蒸し焼きになった遺体、隅田川にかかる橋の中央に折り重なって山となった遺体。自分が経験した空襲とは比べものにならない恐ろしさに足がすくみました。戦後友人と広島を旅しましたが、原爆資料館にはこの時の情景が思い出され、入ることが出来ませんでした。
 昭和20年4月には京浜地区にも本格的な空襲が始まり、我家にも焼夷弾が二発命中、焼失しましたが、周囲の被災者と同じ境遇になった事にむしろほっとした気分になったものです。

 8月15日の玉音放送は床屋の店で4,5人の人と聞きましたが、ピーピー鳴るラジオでは天皇陛下の言葉もよく分からず、中には「まだ戦争を続けろといっているのかなあ。」と言う者もいました。
 しかし戦後は戦時中にもまして、食糧不足が深刻で、田舎が遠かったり、ない者にとって、筆舌に尽くしがたい苦労がありました。それでも心おきなく電灯をつけられ部屋が明るくなった事がとても嬉しかったです。

 テレビの政治討論番組みやニュースをよく見ますが、政治家の勝手放題、若者の無関心さがとても気になります。
 本当の平和って何だろうとも思います。安倍首相の横暴ぶり。でも選んだのは私達国民ですよね。むしろ平和憲法のもとで、今の時代の方が恐い気がします。戦時中は正しい情報がなく、皆右往左往しましたが、今は情報があり過ぎて右往左往している。戦争を体験した者が勇気を出して声をあげることが、今とても大事だと思います。
                                                       (ニュース117号の記事を転載しました


 


O-51


私の戦争体験


2014.6.1


下丸子 I


 戦争中は荏原区豊町(現在:品川区豊町)から学徒動員で下丸子の魚雷の部品を製造していた三井精機(当時)や真空管を製造していた品川電気(当時)に通って事務の仕事を務めていました。動員生活で学業勉強はほとんどしない女学生でした。

*軍国少女で、日本は神の国と本気で思っていました。教育の力は怖い
  学徒動員自体はつらくはなかったのですが、材料がなく仕事が進まずこのままでは戦争に勝てるのか不思議に思っていましたが、一方「日本は神の国だから、負けない」「神風がいつ吹くんだろう」と本気で思っていました。市ヶ谷に引っ越した後は毎晩のように空襲があり地下の防空壕に逃げました、高射砲の発射の地響きがすごかったのを覚えています。こんなに空襲があっても戦争には相変わらず負けないと思っていました。  
 終戦の玉音放送を17歳の時、学校で聞きましたが軍国少女だったので「戦争に負けて、天皇陛下に申し訳ない」と思っていました。本当に、教育の力は怖いと思います。
戦前は学校の先生の権威は非常に高く、先生が沢庵を買うのを見て、先生も普通の人だと思えるようになり、天皇も普通の人と変わらないのではと考えたことも有りました。

*終戦後に日本の歴史を勉強する中で、日本が神の国でないことを理解
 終戦後の混乱期では、戦争中より生活は困難で、その中で昭和21年か22年に学校を卒業しましたが、「女性は自分自身で生きる力を持たないといけない」と思うようになりました。
 新憲法で天皇は「現人神」から「象徴」となりましたが、そのときには違和感は感じませんでした。
 結婚して子供が生まれ、社会のことを勉強していく中で、日本や天皇の歴史を勉強して、日本が神の国でないことを理解していきました。(住井すえ『橋のない川』、司馬遼太郎の本なども読みました)
 戦争開始時は子どもだったことも有り、「八紘一宇」などの意味がわからず、中国などの他国を侵略しているとも思っていませんでした。ただ戦争が始まったのだから「天皇陛下の為に」尽くすだけでした。
 いまから考えると、「知らされないことが問題」「知ることが出来ることが大事」「何でも意思表示できることが大事」だと思いますが、一人一人の意識が高まることが大事です。

*安倍首相の武力拡大主義に反対、憲法を守りましょう
  安倍首相の武力拡大主義に反対です。武力の拡大はお互いの武力の拡大になるだけです。安倍首相のその他の施策も格差を広げ、弱いものを切り捨てる方向で賛成できません。
 現憲法を押し付け憲法という人もいますが、現憲法は非常に良いと思いますから、例え押しつけでも大事にしなくてはいけないと思います。
 

                                                       (ニュース116号の記事を転載しました



 


O-50


96条の会が結成されました


2013.6.07


事務局 若林 徹


 すでに新聞報道でご存じの方も多いかも知れませんが、5月23日に憲法改正手続を定めた憲法96条の改定に反対する「96条の会」が結成されました。樋口陽一さんはじめ著名な憲法学者、政治学者が中心となって、96条改定反対を呼びかけています(96条の会 http://www.96jo.com/)。36名の発起人には奥平康弘さんや小森陽一さん渡辺治さんなど九条の会の主要メンバーがはいっています。さらに特徴的なのは、改憲論者として知られている小林節慶応大教授なども発起人に加わっていることです。小林教授は、「憲法に縛られるべき権力者達が国民を利用し、憲法をとりあげようとしている」と批判しています。
 96条の憲法改正手続は、平和主義や基本的人権の尊重、国民主権などの基礎にある立憲主義そのものに関わる重要な規定です。「96条の会アピール」は、「96条が設けている憲法改正権への制限を96条自身を使ってゆるめることは、憲法の存在理由そのものに挑戦することを意味しています。」「私たちは、今回の96条改正論は、先の衆議院議員選挙でたまたま多数を得た勢力が暴走し、憲法の存在理由を無視して国民が持つ憲法改正権のあるべき行使を妨げようとする動きであると考え、これに反対する運動を呼びかけます。」としています。
 当会ではこの間、改憲勢力は96条改憲で改憲のハードルを低めたうえで、9条改憲を狙っていると警鐘を鳴らしてきました。いよいよ参議院選挙も近づいてきました。9条改悪反対と併せて、96条の改悪も何としても阻止しましょう。96条改憲の意味と危険性について、これまで以上に訴えていきたいものです。






O-49


5月11日 田園調布九条の会主催講演会

「いま、憲法9条が危ない」を聞いて



2013.6.02



矢口 A


  講師は一ツ橋大学名誉教授・九条の会事務局の渡辺治さんで、講演は「いま、なぜ、9条の改憲が」から始まり「ではなぜ、いま、96条改憲論が浮上したのか?」と続いた。
 その中で「安倍政権は9条改憲を一貫して追求し、自衛隊を戦争できる軍隊としていつでもどこでも米軍と一緒に戦争できるよう意図している。しかしストレートの9条改憲は困難とみて、まず改憲のハードルを下げるため96条改憲を打ち出している。この戦術は今のところ反対が多くうまくいっていないようだが、改憲の最大の危機であることは間違いなく、私達の運動がなければすぐやられる。」と強調しました。
 更に「改憲を阻む国民運動をどうつくるか」という点では、以下のように強調しました。
・九条改悪反対の一点で良心的な保守の人(安保や自衛隊賛成でもいい)とも共同しよう。
・運動を地域に根ざしたものにし、地域の固有の問題解決の運動と協働しよう。
・新しい社会層が参加する運動にしていこう。原発、TPPなど若者、地方の人達とも。
「これらを踏まえ新しい国民運動を起こそう。安保闘争時とは違って力をつけた市民運動、保守離れしている地方保守層など、協力して大きく盛り上げよう。」と訴えました。
 普段の運動でも、つい忘れてしまいがちな点を改めて指摘されたわけで、講師の話が身にしみました。
質疑の中で講師は「マスコミの報道姿勢は問題があるが、大切なことは現場に記者を呼び現実を見てもらうこと。レポートは却下されるかもしれないが、現場を見ればマスコミ上層部の姿勢との矛盾を感じるはず。テレビ番組でも良し悪しを具体的に局に言えば現場のディレクターを励まします。結局マスコミのレベルが低いのは私達の運動のレベルが低いから。」
 そういえばマスコミ関係者に自分達の運動について何の案内も出していなかったなぁと思いました




O-48

憲法記念日九条ウォークの感想

2013.6.02


 
5月3日の九条ウオークはお天気も良く気持ちのよい日だった。           下丸子 N
武蔵新田駅頭宣伝の時、30代と思われる青年が、ビラをとってくれた。すかさず「今安倍首相は、自衛隊を国防軍にしたいなどと言っているが、どう思いますか」と聞いたところ、「いいのではないか。北朝鮮問題や、尖閣諸島の中国の動き、北方四島の問題もある。だまっていたら、みな領土を取られてしまいますよ。」と言う。
 私は、力でせめぎあうのではなく、話し合いで、解決するべきではないかと言った。今問題になっている96条については「憲法が出来てから60年以上も経つのだから、考えてもいいのではないか。国会で発議が通っても、国民投票をなかなかクリア出来ませんよ。」とこちらを慰めるように言う。
 結局新田駅から千鳥幼稚園の横の公園まで話したが、わかったかどうか。最後に青年は「いろいろ考えてみたい」と言って別れた。戦争を知らない若い人達にわかってもらうは、なかなか大変だ。 
 5月20日の朝日新聞の短歌欄に「兵隊になるのは君ら君らだと言へば私語止む午後の教室」と言う歌が載っていた。自分の身に引きつけて考えてもらうための工夫が必要だと思った。


=憲法記念日九条ウォークでの素敵な出会い=                     千鳥 N
 安倍政権が96条の緩和を選挙公約に掲げ、立憲主義を根本から破壊しよう企てる中、地元九条の会主催の街なかウォークに参加し、96条改悪NO!9条改悪NO!を地域から発信しました。
 チラシを受けとって下さった高齢の女性に「先ほどは有難うございました」と声をかけますと、「この会は原発反対の運動も取り組んでますか?」と話しかけて来られ、ご自身は1986年チェルノブイリ原発事故、1999年東海村JOC臨界事故などの後、広島・長崎の被爆経験のある日本で、原発はNOと、自ら学び、本を出版するなどし、世界中に原発の危険を訴えて回りました。と感動の内容、矢口在住と聞き矢口の賛同者に伝え、コンタクトをお願いしました。素晴らしい出会いに感動したウォークでした。




O-47

つながろうフクシマ!
さようなら原発講演会


20133.31


千鳥 M


 「さようなら原発」一千万人署名市民の会が主催した講演会が、東日本大震災から2年となった3月11日、大井町の“きゅりあん”で開かれた。会場は1200人以上の人でぎっしりとなり、かなりの人が入場出来なくなる盛況ぶりだった。
 原発は何より、倫理の問題として考えられるべきだと感じた。
 5人の講演と1組の対談があったが、簡単に紹介します。
 鎌田慧:開会あいさつ
 原発政策は原発基本法によってなされているので、脱原発基本法を提出して、法律として原発をやめさせることが大事だ。国会の外の力も使って、法律をなんとかしたい。

内橋克人:
 改訂された安全神話の副読本が作られている。福島をなかったことにしようとしている。内部被曝から逃れようと悩む母親たちに騒ぎ立てるな、と人々を押さえ込もうとしている。異常を異常と感じることが出来ない異常に、福島は閉じ込められている。
 原発事故は、終わったどころじゃない、傷がもっと深まっている。誰が責任をとるべきか分からなくする仕掛けがされつつある。合意なき国策であんな危険なものをどうして人の生活の近くに持っていったのか。脱原発をなかったことにされている。明治公園の集会や17万人の集会を足蹴にされている。なぜ未来世代の生存条件を大切に出来ないのか。これからの選択をまちがえてはならない。心を一つに福島とつながろう。

澤地久枝:
 国は一夜にして消えるし、軍隊は当てにならないことを、戦争で学んだ。国と電力会社は福島を忘れたがっている。被害は自然によるものも人災によるものもすべて補償されるべきだ。私たちみんなで背負うべきことが、福島で起きた。
 憲法をこんなにおおっぴらに変えようとしている時代はない。安倍政権は国防軍と集団的自衛権を目指している。次の選挙に自民党を勝たせてはならない。米軍は普天間を返す気がない。日米安保条約を何とかしなくてはならない。

鶴見俊輔:(メッセージ)九条の会の働きは、これまで以上に大切になる。

対談:坂本龍一、後藤正文(ミュージシャン):
 福島の後で反核の発言をすると反発がくる。おぼれている人を見て、助けを呼ぶのがあたり前、そういう気持ちでやってきた。これを下の世代につないでいくのが難しい。ミュージシャンが反核の活動をしなくていい日本に向けて、やっていこう。

清水修二(福島大学教授):
 福島では、被害者同士が引き裂かれている。避難するか、しないか。いったん避難すると戻りにくい。戻るか、戻らないか。心理的な対立がある。
 人の内部での対立もある。福島の子供の被曝はベラルーシに比べれば相当低かった。子供は大丈夫だった。だからと言ってたいした事じゃなかったとは、思われたくない。16万人が避難中である。震災関連死が1300人以上。放射能事故がなければ、死なずにすんだ。避難にはストレスが伴う。避難しない人のストレスもある。子供たちも運動不足で体力が落ち、肥満が増えた。ストレスも強い。知事も議会も全県の廃炉を求めているが、東電では止める気は毛頭ない。廃炉は圧倒的市民の気持ちである。青森も新潟も原発はすべて東電のためにある。福島の犠牲をムダにしたくない。

大江健三郎:
 具体的な事実としてこういうことがある。1号基の現地調査をしたいという人に質問されて、東電の人が、現場は瓦礫がいっぱいで、真っ暗で、放射能が強くて危険だと説明した。そのため、調査は断念された。これは非常用覆水器が地震によって壊れたのか、津波によって壊れたのかを調べようとしたものだ。地震によって壊れたのなら、日本中の原発の覆水器に関係してくる。東電は地震によって壊れたことを知っていたのだ。これはモラルの問題である。東電が原発用地をどうやって買い集めたかについても倫理性は感じられない。倫理性のないことが原発を作る人の基盤になっているのではないか。
 クンデラという小説家は、年取った小説家に出来る事は、一生やってきた仕事の総仕上げとして、しっかりした一つの小説を、次の世代の人がこの地球で行き続ける事が出来るような見取り図を書くことが、作家の仕事だと言っている。政治家は、ほんの自分の政権の間だけうまくいけばいい、将来のことは知らないと上機嫌にやっている。
 憲法は押し付けられたかどうかより、これを守ろうという倫理観を私たちはずっと持ってきた。この1年足らずの政権が、憲法自体を廃止しようとしている。今の政府を打ち倒し、反原発の政権を立てる。苦しくても、私たち日本人が尊敬されて、生きていく道は他にない。市民が集まって、力を示すべき。反原発を達成し、生きていく場所を次の世代に作ること。しっかりやって行きましょう。

吉岡 斉〈九州大学教授〉:
 原発からの秩序ある撤退が必要である。秩序ある撤退とは計画的撤退である。すぐやめると電力の余裕がない。電力会社の倒産の危険がある。脱原発を支援する機構を作る必要がある。脱原発を実現しよう。
 落合恵子:閉会あいさつ
3月11日は、記念行事ではない。平和と反核と反原発のスタートの日にしたい。
来年、仮に、この出席者が半分になっても、10人であっても、集まりましょう。
 


O-46

マルエツ前の「9の日行動」から

2013.2.11

矢口 M

2月の9日行動で、通りがかった女子高生ぐらいの二人に声をかける。
「戦争をさせない、憲法九条を守る活動をしている会です」と呼びかけ、チラシをさしだす。「平和の運動なんだ」と言って二人とも受け取り、一人が「平和のための署名だったら、しなよ」と、声をかける。もう一人が「九条って何ですか?」と聞く。
「戦争をしない、させない、憲法ですよ。私たちはその、憲法九条を守らせる活動をしています。」「戦争はイヤですよね!」と顔をしかめる。「そうですよ!そのための署名です」
「いいですよ、字はきたなくてもいいですね」などいいながら書いてくれる。先の一人も同様に「平和のためにがんばってください」といいながら書いてくれる。
「徴兵制って何ですか?」との質問「軍隊に強制的に入られ戦争の訓練をさせられる制度ですよ」すぐに反応「やだー、そんなの反対でーす」「そうだよ反対よー」
二人とも「がんばってくださーい」と明るく去って行く。
若い人に、知ってもらう事の、知らせる事の、大切さを感じた一時でした。



O-45

日吉台地下壕見学会に参加して

2012.2.25

千鳥 常名

 【日吉台地下豪(旧連合艦隊司令部)見学】

日時:2012年2月4日(土)13:00~16:15
主催:日吉台地下壕保存の会
参加者:32名(うち当会メンバー7名)
ガイド:4名(日吉台地下壕保存の会ボランティア)
天候:晴天(前日より10度位高く温かな気候)
   
  13:00日吉駅前集合。日吉台地下壕保存会の方の案内で慶応大学構内に入り、空きスペースでガイドの方の紹介と概要説明を受ける。その後、地下壕のある通称「まむし谷」へ向かう。
13:50第一校舎と高校グランドの間を抜け階段を下り、地下壕の入り口へ。警備さんに鍵を開けていただき、いよいよ地下壕の中へ。懐中電灯を携え入口から数段階段を下りると、中には長い通路が伸びている。天井はアーチ型に掘られており、横幅は人が十分にすれ違うことができる広さがある。長い通路が突き当たると右に左にさらに通路が広がっていて、トンネルが縦横無尽に存在している感じだ。
 地下壕は4カ所に分散しているそうだが、見学できるのは連合艦隊司令部などのあった場所のみ。太平洋戦争末期の1944年7月に建設開始、地下30m、長さ2600m、壁の厚さ40cm。部屋は司令長官室、電信室、暗号室、作戦室などに分かれている。電力は地上から配線され、停電に備えて自家発電あり、下水道完備、水洗トイレが設置されていたという。また、作戦室や電信室などでは当時珍しい蛍光灯が24時間着灯していたという。地下は多湿なので、通気孔が設けられていた。地上でその通気孔の出口孔が見られる。当時は電信・暗号合わせて約200名の隊員が勤務。1945年4月に戦艦大和が空爆を受けて沈没したとき、刻々と入電される情報を電信員は涙ながらに受信したという。

 中は迷路のようになっているのでガイドさんの案内なしでは迷ってしまうだろう。地下壕は、夏涼しく冬は暖かいそうで、外は真冬の寒気が漂っていたが中は暖かかった。
 ガイドさんの説明によると、地下豪は非常に頑強に作られていたので、2トン爆弾を落とされても問題なかったという。戦地に赴いた兵士たちが撃沈される中、指令部は絶対に安全な場所から指令を出していたと聞くとやるせない思いがした。
 その他、近くの農家も強制移転させられたり、トンネルを掘削した泥や土が農地に捨てられ、残土で田畑がダメになるなどの被害も後を絶たなかったという。二重苦、三重苦の苦労を強いられる戦争、歴史の負の遺産が改めて戦争の酷さを語っていた。戦地だけではない厳しい現実を突きつけられる時代を2度と繰り返すことのないよう、残った戦跡を通じて考え、少しでも語り継いでいけることを願う。



O-44

千鳥町駅の「9の日行動」から ひとこと

2011.12.9

矢口 宮本

 
署名版に下がっている「九条アピール」のポスターを見ながら 「あんたら、何してんだね」と年配の男性。
「はい、今国会でこの九条を変えようとする人達がいるので、変えさせちゃあいけないと、皆さんに訴えてます」
「そうだよ、この九条は変えちゃあいけねえ、戦争は絶対だめだ!おれは88だけど戦争で鉄砲うってたからな。今で も毎年靖国へ行くけど、戦争はだめだ! これを変えちゃあだめだよ」とポスターを指差す。「そうですよね、そのためにぜひ署名お願いします」
「いやー、そんなこたーやんねえけど、それもらおうか、まーがんばってくんな。」とチラシを手に去った。どんな思いで、ポスターを見て戦争はだめだといったのだろう。
                                   千鳥町駅12月9日、「9の日行動」  宮本

 


 

 

O-43

森嶋通夫著『日本の選択』を読みました

2011.2.2

下丸子 小林 稔治

 森嶋通夫著『日本の選択』(岩波書店[同時代ライブラリー]、1995年)を読んでみました。
 森嶋氏は著名な経済学者で、2004年に亡くなっていますが、経済だけではなく、防衛に関しても論じています。
 森嶋氏の防衛論は徹底した「平和主義」ですが、ただ平和を愛するという夢想的な平和論ではなく、具体的で現実的な平和論のように読めました。 森嶋氏の「防衛論」では、防衛はハード的防衛とソフトウェア的防衛があるが、ハード的防衛は武力防衛であり、歯止めの無い武力の拡大につながり、もはや時代遅れの防衛論であり、一方ソフトウェア的防衛は「日本が、つね日頃から世界でもっと積極的に活躍し、世界の中で公平で信頼できる仲裁人であるという定評を確立しておく」ことが中心で、そのためには、GNPの2.5%分だけ防衛費を増額し、タンクや飛行機やミサイルを購入するのでなく、広い意味での防衛費である文化交流や経済援助や、欧米諸国との間の貿易黒字差額の縮小用に有効活用するなどとしています。
 更に、一見だけだと誤解を生むかも知れませんが、「それでも、もしどこかの国が日本に攻めてきたらどうするのだ?」という問いに対し、森嶋氏は「毅然として、威厳を保ちつつ秩序整然と降伏する」と説いています。つまり、徹底抗戦して玉砕して、その後に猛り狂った敵軍が来て惨憺たる戦後を迎えるより、秩序ある威厳に満ちた降伏をして、その代わり政治的自決権を獲得する方が、ずっと賢明であると説いています。
 これは、万が一の場合の回答を用意していない論は不十分との武装論者の批判にこたえる中での森嶋氏の真摯な回答だと思います。
 その他 にも「歴史に学ぶ」とか「文民統制」とかいうことはどういうことなのかについても書かれています。一読に値する著書だと思いました。

 

 

 

O-42

「井上ひさしさんと共に生きていこう」

2010.12.6

下丸子 K

 この日は平日の夜にも拘らず、会場は願った以上の聴衆で一杯になって、スタッフの一人として安堵しました。
当日の主役のお二人は、憲法九条を守る運動の発起人の井上ひさしさんと、九条の会の事務局長の小森さんでした。お二人は文学の世界でも親交が深く旧知の間柄、講演者小森陽一さんは、井上ひさしさんを語っていただくにまことに相応しい方でした。
 井上さんが世に送り出した沢山の作品は、いつも諧謔精神に溢れ、抱腹絶倒の筋運びで実に楽しく面白く、なのに帰りぎわには宿題を抱えたような気分になってくる。「こまつ座」の舞台をよく観る私はこの日、度々その客席にいるような錯覚におちいりました。
 さて小森さんのお話しは、行ったことのないボローニャの街とそこに住む人達が井上作品さながらに立ち上がってくるようでした。井上さんはこのところあんまり使われ過ぎて意味の消えかかってる<平和>という言葉を<日常>と言い換えるようにしている。「日常を守れ」と。小森さんは、この言葉から「あるときまで、非日常だったことを自分達の日常に取り込んでいき、その日常を日々何気なく、気負いもなく、なおかつ楽しんでいきましょう」と説かれました。九条の会発起時に目指した、一人一人が自覚して他の人に伝えていくという大切な事が、この街で広がっていくに違いない。この日、会場は終始笑いに満たされていました。最期に小森さんは「井上さんと共に生きていこう」と聴衆に向かって言われたのでした。

 

 

O-41

5.15【横須賀基地見学・交流会】の感想

2010.5.27

千鳥 J

 普段乗り慣れない京急線からの眺めを楽しみながら約1時間で汐入駅に到着。お天気にも恵まれ、また20人もの仲間での遠出は久々ということもあり、到着した時点ですでに遠足気分でした。駅では改札を抜ける前に「よこすか軍港めぐり」の電光掲示板が出迎えてくれ、「基地の街」であることを実感。さっそく乗船場に向かい、長蛇の列の最後尾に並んで待つこと数分。穏やかな日差しのもと、快適にクルージングが始まりました。
 当日はラッキー(?)なことに米航空母艦ジョージ・ワシントンも停泊しており、また海上自衛隊の護衛艦あたごをはじめとするお馴染みのイージス艦も多数停泊していて正直楽しめました。「大きなお船の展覧会」とするなら、これ以上のシチュエーションはないのでしょう。船内のアナウンス係の説明も嬉々として楽しげで、多くの観客も満足そうでした。私自身、真っ黒な潜水艦を除いては軍用品独特の「薄気味悪さ」すら感じなかったのは不思議です。おそらく想像力が欠如しているのでしょう。目の前に大砲があっても、それが火を噴かないと怖さも感じないのですから。
 下船後、多くの土産物店が並ぶ“どぶいた通り”で1200円もする横須賀名物のハンバーガーを食し、「基地の街」が観光地にもなっていることを新たに実感。午後の説明会で新倉さんの仰っていた「基地が実在するという現実」を目の当たりにした思いでした。
 横須賀市民九条の会との交流会ではそれぞれの会の運営方法や運動の取り組みなど、情報交換ができたことは大きな収穫でした。良いと思う取り組みはどんどん吸収していきたいものです。運動方法についてはお互いが「真似すんなよ」と言わない関係はやはりいいものです。
 夕方からは再び“どぶいた通り”を歩いてみました。あたりが薄暗くなるにつれ、米軍兵士向けのバーに活気が漲り、大音響の音楽と大声で話す英語が街にあふれてきました。建物の二階からは一目で「その筋」と見られる日本人女性が、道を通る米兵に声を掛けて来店を促していたのも印象的でした。「基地の街」であり、基地の存在によって生活を営む人も少なくはないのでしょう。ただ一方では、通り沿いにある諏訪大神社の参道入り口にあった「米軍兵士立ち入り禁止」の看板も声なき声として非常に印象的でした。
 一日も早く、基地に頼らない横須賀、そして日本を実現したいものです。米軍基地を抱えていたフィリピンでは、米軍撤退後に軍事施設を平和利用施設に変えたところ、軍事施設での雇用をはるかに上回る雇用を生むことができたそうです。理想を実現する思いが強くあれば、どんな困難な状況にも打破できないものはないと思います。ひとつひとつは小さな声でも深く強く連帯することで大きな輪にして平和を実現したいものです。

 

 

O-40

九条の会「関東ブロック交流集会」に参加して
 ──「九条を生かす」運動の必要性を改めて痛感

2010.4.10

若林 徹

 4月4日(日)、港区の正則高校で、九条の会「関東ブロック交流集会」が開かれました。私たちの会からは、事務局長の小林さんと私の2名が参加し、全体では東京と関東各県から450名が集まりました。
 午前中は全体会で、県レベルの会、大学生、高校生の会と分野別の会の報告があり、九条の会事務局長の小森陽一さんの報告がありました。
 県レベルの九条の会活動の報告で、特徴的だったことは、各地の九条の会と県段階の組織が上下関係にないことを明確にしたうえで、「イライラするほど民主的に運営されている」(神奈川)、県レベルの連絡会はできていないが合同講演会を共同実行委員会を設けて準備しているなど横のつながりを重視している(茨城)など、県段階組織の結成や運営に相当の神経を使っている様子がうかがえました。昨年の私たちの地域合同講演会の取組み経験ともつながると感じました。一方、東京連絡会の報告は、08年10月に700人が集まって発足したとの報告がありましたが、いくつの区・市町村から、いくつの会が参加して結成されたのか、今年秋に開催を予定している「東京9条まつり」の目的などは不明のままという印象を受けました。
 小森陽一事務局長の報告は、九条の会発足以来世論調査で「憲法を変えない方がよい」が増え続けて、2008年には過半数を占めた経緯を説明しました。そしてその力は、この間急速に数を増やしてきた九条の会活動に少なからずあったと語りました。しかし同時に、すべての小学校区に九条の会をつくろうは、合言葉になってはいるがまだ実現していないこと、加藤周一さんがこれからは長丁場になる、九条を守るだけではなく、九条を生かす運動が必要だと提起したことを指摘しました。
 後者に関して小森さんは、すべての問題を日常性に結びつけなければいけないと課題提起しました。福祉、教育、年金など相互に関連している。国家の横暴に対してそれら全体に反対していくべきだとして、2009年年頭の年越し派遣村の取組みを例に挙げました。
 午後は、11の分散会と職場・青年の2つの分科会に分かれての交流となりました。私は、40名弱が参加した第10分散会に参加しました。特徴的だった点をいくつか報告します。
 九条を守れという国会請願行動を大型バスを仕立てて取組んだり、軍港めぐりをやっている横須賀市民九条の会の取組み、世界102カ国に九条絵手紙をエスペラント語で送る取組みをした前橋・大利根地区九条の会、ニュースに街のお店の宣伝を載せることで経費を賄って、カラーで2000部印刷している「さかいね(柏市酒井根)9条の会」の取組みが興味をひきました。分散会の後半は、駅頭宣伝、財政、組織活動などのテーマに即して経験を出し合いました。「9の日行動」に取組んでいる会が結構多く、また戦争体験を聴く会の開催や戦跡見学ツアー(松代大本営など)も取組まれていました。私は、当会の「9の日行動」の取組みについて報告しました。
 小森事務局長の課題提起、「九条を守るだけではなく、生かす運動が必要で、そのためにすべての問題を日常性に結びつける」には、改めて大きな宿題を投げかけられたとの想いを強くしています。加藤さんの問題提起以降、「九条を生かす」運動の必要性は感じて、私たちの会の実情を踏まえてどう具体化したらよいのか、あれこれ考え、悩んできました。いま改めて、会全体の課題として知恵を絞る必要を痛感しています。

 

 

O-39

「日本人もまんざらじゃない」

2009.6.22

下丸子・若林 徹

 6月2日に加藤周一さんの志を受継ぐ九条の会講演会が開催された。呼びかけ人の奥平康弘さんが、加藤さんと一緒に木下順二の東京裁判を描いた演劇を観た時のエピソードを紹介している。加藤さんが多くの観客を目にして、「日本人もまんざらじゃない」と語ったという。奥平さん曰く、東京裁判とはなんだったのか、戦争責任を問うこと、裁く権限はどこからくるのか、憲法とどういう関係にあるのかなど、答えはそんなに簡単に出てこない、こんなにも難しい劇なのに盛況だったことの感想としてこの言葉は述べられた。
 加藤さんのこの言葉から想い起こされることは、加藤さんが、日本文化のありかた、特徴として、「今=ここ」の文化と把握していることとの関連だ。日本文化が、彼岸より此岸、全体や体系・構造より部分・細部、原理的なものより実際的なもの、過去、未来より現在を重視し関心を示しているとしている。土着の思想、世界観が執拗に持続する文化の特徴は、一方で優れた文化・芸術を花開かせてきたと同時に、過去の都合の悪いことは集団で早く忘れてしまう、未来のことも余り心配しない、個人の責任はムラ的集団主義に埋没するという悪しき側面も持っている。それは日本国憲法の原理・精神と鋭く対立する。
 加藤さんは「今=ここ」の時空間を変革する展望までは語っていない。しかし、九条を守り生かす運動を牽引する立場に自ら身を置いた加藤さんは、日本文化の特質の中の悪しき側面を変えうるもの、あるいは結果的に変わりうるものと捉えていたか、少なくともその可能性に賭けていたはずだ。そこが変わらない限り、逆に日本国憲法の原理や精神が、とめどない「解釈改憲」や「明文改憲」というかたちで変容させられてしまうのだから。上記の言葉は、そのことを自ら確認する述懐ではなかったろうか。九条運動は、鎌倉新仏教が日本文化に衝撃と変容をもたらしたのと同じような、大きな変容をもたらす運動のひとつにならなければならないと思う。私たちが日本文化のありようとの関連で憲法運動、九条運動を捉えることは、運動の継続・発展を目指すうえで大きな意味があるのではないだろうか。

 

 

O-38

 空想ではなく
--九条の会講演会 加藤周一さんの志を受けついで--

2009.6.21

 下丸子 M

 大江健三郎さんの話に感銘を受けた。話の後半、1995年、原爆50年の年に広島で開かれたパグウォッシュ会議(核兵器及び全ての戦争の廃絶を訴える科学者による国際会議)で加藤周一さんが核廃絶に関して論じるべきことを述べられた上で、「しかし核兵器保有国と非保有国の間に信頼関係が作り上げられなければ何も始まらない」と言われたことを引用して、現在起こっている北朝鮮のミサイル発射と核実験に焦点を合わせて話された。北朝鮮と日本の間に信頼関係を築くことが可能だろうか・・・。大江さんは、日本が政治権力側からではなく私たち市民が本気で憲法の不戦条項、九条を守りぬき、軍備をもたないことを世界及び周辺諸国に知ってもらえたならばやがてそれは可能であろうと、そしてそれが日本が現実的に進めることのできる唯一の方法ではないだろうかと結ばれた。
 茫然として聴いていたが、日朝間に残る歴史的な大きなしこりも永久にほぐすことができないものではないはずだと思った。「信頼」が築かれるのを信じて待つことができるようになりたいとも。「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を希求し・・・」で始まる九条に立ち返り、加藤さんの志を受け継いで、全国7000を超える九条の会が力を合わせて、この2国間に信頼を築くという遠大な計画の実現の為にも九条を守っていかなければとの思いを新たにされて帰ってきた。

 

 

O-37

九条の会講演会
------加藤周一さんの志を受けついで-----に参加して

2009.6.17

 矢口 G

 加藤周一さんの志を受けつぎ、九条の会発足5周年を記念した講演会に参加した。
 九条の会発起人の井上ひさし、大江健三郎、奥平康弘、澤地久枝の4氏がそれぞれ加藤さんと平和、九条に関連した話をしました。澤地さんは、加藤さんが若い人とのつながりを大事にしていたことに触れ、自らの体験を交えて次のように話した。
 若い人は九条に関心がないというが、自身戦後間もない若い頃加藤さんの反戦的小説「ある晴れた日に」を読んだが大きな関心を持たなかった。しかし今加藤さんと一緒に九条を守る運動に参加している自分を見ると、接し方次第で若い人もきっと関心を持つようになると思っています、と。
 これを聞いて、私自身も若い頃は九条、戦争などに関心がなかったことを思い出し、若者へあきらめずに話しかけていくことの大切さを再認識しました。
 私は加藤さんの著書を読んだことがなく、朝日新聞連載の「夕陽妄語」を時に読む程度でした。加藤さんの博学と深い洞察が込められた文を読むにつけ、「難しい問題を理解している方だからもっとわかり易く表現してくれれば」と、自らの理解力不足を棚に上げて思ったことを恥ずかしく思い出します。
 この3月にテレビで、病床にある加藤さんが最後の力をふりしぼり「人間の顔をした社会を」「人間らしさを世界に再生させねば」と語っていましたが、私達に伝えたいという執念と強さが印象的でした。加藤さんの死は大きな損失ですが、九条を守り生かすこの先の長い運動を考えると、何としても若い人へつなげていきたいと思いました。
 なお会場には2千人を越える参加者があったということです。

加藤さんへ花を捧げます。(菖蒲の花 水元公園にて)

 

 

O-36

北朝鮮の核実験と“9条を生かす”こと 

2009.5.28

下丸子・若林 徹

*無謀な北朝鮮の核実験に抗議しよう
 北朝鮮が3年前の核実験に引き続き、2回目の核実験を行ないました。北朝鮮が国際社会に公約してきたこととも、国連安保理決議にも違反する暴挙で、世界とアジアの平和を損なうものとして、断じて容認できません。北朝鮮は、朝鮮半島非核化に向けた話し合いのテーブルにつくべきです。

*「核武装論」や「敵基地攻撃論」「先制攻撃論」を許すな
 日本では、この北朝鮮の核実験を口実にして、「核武装論」や「敵基地攻撃論」「先制攻撃論」がまたぞろ出始めています。こうした軍事的対応論はいたずらに北朝鮮に敵対して東北アジアの緊張を激化させかねない危険な議論です。そして重要なことは、こうした議論が日本国憲法の改悪に繋がるということです。とりわけ見過ごせないのは、麻生首相が、敵基地攻撃について「法理上は可能だ」と述べたことです。敵基地攻撃能力を保有すべきだと言及したわけではありませんが、憲法遵守義務のある首相が、戦争放棄、武力行使の放棄を謳い、戦力の不保持、交戦権否認を謳った憲法9条に違反する見解を表明したことを許すわけにはいきません。

*核保有国に核廃絶を具体的に進めさせることが、9条を生かす道だ
 アメリカのオバマ大統領が核廃絶に向けた重要演説を行ない、世界が核廃絶に向けて動き始めようとしている矢先の今回の核実験ですが、核廃絶の動きを頓挫させてはいけません。北朝鮮を核放棄の話し合いのテーブルにつかせるためにも、この動きを加速させるべきです。唯一の被爆国であって、憲法9条を持つ国として、本来日本政府は、アメリカの核の傘の下での核抑止論に固執するのではなく、核廃絶に向けたイニシャティブを発揮すべきです。実現は容易ではありませんが、私たちは、政府に対してそうした取組みをするよう働きかけるべきです。そのことが、“憲法9条を生かす”取組みの重要な一つではないでしょうか。
 核廃絶に向けた取組みは、当面、核拡散防止条約の枠組みに即して進められることになるのでしょうが、条約で核の保有が認められているアメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国は、それ以外の国に核を持つなと言うのであれば、まず自ら、単なる「核削減」ではなく、「核廃絶」を明確に表明して、廃絶に向けた具体的なプログラムを作成するべきです。そして核拡散防止条約未加盟の核保有国、インド、パキスタン、イスラエルに対して、核保有を黙認せず、核廃絶に向けた話し合いの場に参加するよう求めるべきです。条約から脱退した北朝鮮に対しても、同様です。そのこと抜きには、「核拡散防止」の枠組みは、何ら説得力を持ちません。核は、とめどなく拡大・拡散していって、平和と環境に破滅的な脅威を与えることになるでしょう。日本は、そうさせないために、アメリカ、ロシアを筆頭にすべての核保有国に対して、明確な「核廃絶」の約束を迫るべきです。

 

 

O-35

K.I.さんへ

2009.4.27

下丸子 M

 久しぶりに「ひとこと広場」を開きました。「Mさんへ、再び」、ありがとうございました。益川さんのお話、「自分はすべての戦争に反対というのではない。銃をとらなければならない時もあると思っている。国家のためにというのじゃなくて」とおっしゃる意味がよく分かりませんが、ご自身の戦争体験を九条を守る行動のエネルギーに用いておられる姿に敬服です。どんなに優れた学者であられても、今、この国で研究室に閉じこもって専門分野に没頭しておられるだけでは満足を得られないだろうと思います。
 ところでこのところ私はたまがわ九条の会の活動への参加がめっきり減ってしまいました。物理的な理由もありますが、いろいろあります。このような者に声をかけることを思いつき、投稿してくださったIさんに感謝と共に脱帽です。いつか又駅頭宣伝に参加しますから共に頑張りましょう。
 しばらく前に、ネット上にhttp://www.whitehouse.gov/contact/このようなサイトを見つけました。オバマ大統領へのメールを受け付けるホワイトハウスのサイトです。憲法を遵守すると誓って大統領に就任されたことに敬意を述べて、この地球上の全ての人が、とりわけ子どもたちが一日の終わりに心満たされて平安のうちに眠りにつくことのできる世界になるようそのお働きに期待する旨と、理想に誠実であった先人達を倣わなければならないと述べられた大統領が、過去の侵略戦争の反省と謝罪をもとに「理想」を掲げて作成された日本の平和憲法に誠実でありたいと願う私たちの思いを理解していただきたいと(英文で書かれた日本国憲法の前文と九条をコピーペーストしました)、その上で我が国に国際協力を望んでいただきたい旨、ソマリア沖への海上自衛隊派兵に強く反対の旨などを、最後に健康が守られよいお働きを祈りますと学生時代からの友人と2人で時間をかけて辞書を引きながら高校生レベルの英語で書き上げ送信しました。
 今は、始動を急ぐ憲法審査会の委員長小坂憲次氏に抗議のファックスを送ろうと考えています。6月2日の「加藤周一さんの志を受け継いで」には仕事を休んで行きます。もうチケットを入手しました。井上さん、大江さん、澤地さん、奥平さんのお話を聴けるのを楽しみにしています。Iさん、個人的には何も存知あげませんが、たまがわ九条の会のメンバーとしてのお働きにいつも感心しています。
 私は百分の一もお役に立てませんがこれからも連なっていきますのでよろしくお願いいたします。

 

 

 

O-34

ソマリア沖の問題でひと言

2009.4.22

 矢口 M

「ソマリア沖の海賊退治、チャンスだ。屁理屈はつけたから行っちゃえ!」
こうして自衛隊が、戦争できる兵器とともに出て行った。
政府は「「わが国は海洋国だ。貿易立国だ。海の安全確保は、日本の生命線だ!」と言う。
ところが今軍隊を出しているのに、アメリカの国防総省の報道官は、こう言っている。
「世界中の海軍のすべてをソマリア沖に集めても、問題は解決しない」と。
アメリカは現実を語り、日本はとにかく軍隊を外へ出すことを狙う。
武力で平和はつくれないことが、イラク・アフガンなどでますますはっきりしてきている。
日本の憲法前文と9条のめざすところに平和がつくられると思う。 

 

 

O-33

Mさんへ、 再び

2009.3.16

 千鳥 K.I

 いつか, ノーベル賞の益川さんの反戦平和の思いについて、メールを下さいましたね。
 その天衣無縫とも言える言動にひかれて、講演会に行って来ました。(科学者九条の会、3月8日、明治大学リバティタワー) 
 幼児の頃、家に不発弾が落ちたり、家財道具を積んだリヤカーに乗せられて戦火を逃げまどったのが戦争体験で、こんな思いは子供や孫には絶対させたくないとの強いお気持ちでした。
 友人の被爆体験にふれて、そのお母さんが家の下敷きになり 火が迫り お母さんから“お前は早く逃げなさい”と言われて ”家を離れた“ と淡々と書いているのを ”どうしてこんなに淡々と書けるんだろうと思ったけれど 彼にはそうとしか書けなかったんだと思い至った。“と話した時 声を詰まらせ、涙されました。自称 ”ヤバン人“とおっしゃる人の深い思いやりをみました。 
 兵器に繋がるような研究そのものをすべきでないという意見もあるが、科学の発達そのものは中立なもので、それが 戦争に利用されないように人々はちゃんと見張っていないといけない、とのお考えでした。 
 また、“自分はすべての戦争に反対というのではない。銃をとらなければならない時もあると思っている。国家のためにというのじゃなくて。”とも言い、例としてアメリカと戦った時の北ベトナムを挙げられました。
 9条の例えば加藤周一と話されたならば、あるいはこのお考えは変わったのじゃないかと ぼんやり考えました。 

 小田さん 加藤さんと失った今、このような方が反戦平和を強力に表明されたことを心強く思いつつ、どどどっと出口に移動した人波にのって明大を後にしました。

 

 

 

O-32

ねばれ9条 餅つき交流会

2009.2.19

 宮本 茂生

楽しいことや笑いがあると、体まで元気になる。
今回の楽しかった餅つきのことを、田舎の99歳になる母に話そう。きっと昔話が出るだろう。
前日からの豚汁づくりや、下準備など、女性パワーの出番だった。
当日朝、バーナーの着火に1時間かかった。ようやく安定した火を見たAさんの一言。
「間単に使えるのを買えばいいのに、これは俺と○○しかできねえんじゃあ、しょうがねえ」
Kさんが洗ったもち米を届けてくれる。それをザルに分配して水切り。
朝早くから見ていた、年配の女性は一つ一つが気になってしょうがない。
「ザルは傾けて」「それはよく洗って」などと、声をかける。
セイロの蒸し上がりを確認して臼に移す。手早く押しつぶす。つき手の登場。手返しのハイ、ハイの声が、つき手のリズムを誘う。
見ているだけではもの足りなくなり、慣れた手つきで手返しをする年配の女性。
これまで餅つきをしたことのない人たちが杵を持ち、次々体験をする。
つきたての餅が、あんこやきな粉の待つ室内に持ち込まれ、手早く処理される。
豚汁と並べて食べ始める人。子供たちの声も混じって、そのうち三線も鳴りだす。
みんなで後片付けをして無事終了。十分楽しめた餅つき交流会でした。                   

 

 

 

O-31

自衛隊がこんな人の指揮下にある!

2008.12.15

 矢口 G

  前自衛隊空幕長・田母神氏が懸賞論文で驚くべき説を展開したことは記憶に新しい。
  論文いわく、「日本が侵略国家というのは濡れ衣」「日米戦争はアメリカに仕掛けられた罠」「日本が相手国の了承なしに軍を進めたことはなく、アジア諸国がこの戦争を評価している」等々。
  しかしこれは偶発的なことではありません。田母神氏を任命したのは改憲を声高に叫んだ安倍内閣ですし、以前から侵略戦争への反省を「自虐史観」として反発する改憲派などの潮流があり、政治家、国民の間にも広がっている背景があると思います。
  彼が自衛隊の最高幹部だったということは、自衛隊の主流は彼の考えに近いわけで、そういう教育が強まれば、自衛隊が暴走し戦前の2.26事件のようなことが起きないとは言えずとても危険です。それでも田母神論文が発覚して即更迭されたのは、選挙も控え国民の大きな批判を恐れてのこと。九条の会を含め国民の様々な運動の反映だと思います。
  週間朝日に載った対談記事には、「田母神論文が英訳され海外に出たのは重大な機密漏洩で、なぜなら自衛隊の頭脳である指揮官の能力がこんなものと最大の弱点が外国にバレたから!」という下りがあります。指導者は客観的に見る力、バランス感覚や教養が必要で、彼のように思い込みが強く不利な情報は無視というのは大変危険とあります。こんな人が国を守ると言ってもかえって危なくするだけです。こう言われても彼は「そんなの関係ねえ」と又うそぶくのでしょうか。

九条を大切にする人へ金色の輝きを 今月の花(葉) イチョウ 神宮外苑にて 

 

 

O-30

“高遠菜穂子”は大きかった 11月1日「音楽と講演の夕べ」の感想

2008.11.5

K.I

 “高遠菜穂子”は大きかった。“それでもイラク人を嫌いになれない”と言って泣きじゃくった裕福なお嬢さんボランティアというあのころの印象とは違って。米軍の攻撃による悲惨な状況から目をそむけず 彼らに本当に必要な支援をしようと隣国ヨルダンに2カ月に1度通ってイラクからの情報を得る。人々の喜びを支えに 拘束によって生じた自分の中の怒り 許せない気持ちをも修復しようと努力する。“支援は自分のためでもある。”と言いきったその姿勢に自分自身と外の世界に冷静に取り組もうとする真摯な態度をみた。
 そもそも 英文科を出てフツーのOLになった彼女を 何がイラクの路上に ストリートチルドレン支援のボランティアに連れ出したのか 聞いてみたい気がした。
                                    

 

O-29

おどろいて。

2008.11.2

K.I

 11月1日の朝日新聞朝刊のトップを見て驚いた。空自トップが 過去の侵略戦争を正当化した論文を発表して更迭されたというのだ。 心底 背筋が寒くなった。 戦前 戦中の軍国主義の亡霊がそこに ぬっと立っている気がした。 いや むしろ 突然霧が晴れて目の前にそびえる山を見たような気がした。 その人物だけのはずが無い。 その周りに その後ろに その考えを押し立てる少なくない人がいるのだから。 殺しあいを憎むすべての人とこの現実を見据えてしっかりとたたかっていきたい。                                    

 

N-4

ニュース49号の「私のひと言」より転載しました

2008.9.30

                             千鳥 吉川輝子
 私の母は老人ホームに入って2年になります。認知症が進み、寝たきりで食べることから排泄まですべて看護士のお世話になっています。最近では、見舞いに行っても解らないことも多い状態ですが、食事は車いすで他の入所者の方々と一緒に食堂で食べています。母のいるフロアーは認知症の方ばかりで、男性が3〜4人、女性が15〜6人いらっしゃいます。私はごく単純に、人数の差は女性の平均寿命が長いためと思いこんでいました。
 半年ほど前、ある学習会で1945年(敗戦の年)当時、男性の平均寿命は非常に短かったという話を聞いて、とんでもない思い違いをしていたことに気がつきました。母と同世代の男性は徴兵制の下、死ぬことを強制された世代だったのです。
 憲法9条はこうした犠牲の上に私たちが手にした、世界に誇る宝です。9条を変えることは絶対に許せません。
                                    

 

O-28

戦場と心の傷

2008.9.30

 矢口 G

 NHKスペシャル「兵士はどう戦わされてきたか」、「ママはイラクへ行った」が放映された。今、アフガン、イラクからのアメリカ帰還兵だけで30万人がPTSD(心的外傷後ストレス障害)に悩んでいる。敵を殺し、殺されそうになることがダメージとなって心の病となり、ベトナム戦争で世界的に知られるようになった。社会に適応できないことで(仕事ができない、犯罪を犯す等)大きな問題となっている。ある女性兵士は、とっさの応戦で少年を撃ち殺しその後自分の息子が殺した少年に重なり子育てできないとか、極度の恐怖と緊張が原因で子供との親子関係が取り戻せない例が挙げられた。PTSD等の対策に米軍は以前から取り組み、「戦場で発砲できない兵士のため訓練をよりリアルにする」「敵は人間以下だと叩き込む」などの訓練を行ってきた。
 しかし市民を兵士に仕立て上げ人を殺せと命令する国家の方針と、人は殺したくないし殺されたくないという人間の気持ちは基本的に相容れない。そのためPTSDに罹る。
 番組を見て私が恐れるのは、PTSD対策を進める国家は個人のためというより、病気を治してまた戦場に送りたいという思惑が見え隠れしたことです。普通の市民が戦場で冷徹に戦い敵や敵に見える人を倒し、国へ戻れば何もなかったかのように普通の生活ができる、そんな市民が欲しいようです。殺人事件を犯しても何くわぬ顔をして生活している殺人犯のように。

九条を大切にする人に秋の爽やかさを  今月の花 萩 向島百花園にて

 

N-3

ニュース48号の「私のひと言」より転載しました

2008.8.28

                                        矢口 宮本茂生
 時々早朝のラジオを聞く。先日童話作家松谷みよ子が、話していた。彼女が新人賞をもらったときに、児童文学賞は壷井栄だったという話が出た。
 昔見た映画を思いだしながら、小説『二十四の瞳』を読んだ。こんな一文があった。「国民精神総動員という名でおこなわれた運動は、寝言にも国の政治に口を出してはならぬことを感じさせた。戦争だけを見つめ、戦争だけを信じ、身も心も戦争の中ヘ投げこめと教えた。そしてそのように従わされた。不平や不満は腹の底へかくして、そしらぬ顔をしていないかぎり、世渡りはできなかった。
 子ども達の生き生きした生活。そして戦争で生き残った者の再会の喜びと、失われた者への悲しみ。読み終わり、映画より強い戦争批判を感じた。
                                    

 

 

O-26

まとまりの芽

2008.7.26

千鳥 K.I

 全国的に梅雨があけてモーショ日となった7月19日 区内9条の会交流集会にでかけた。一番印象に残ったのは基調報告で述べられた派兵恒久法の“こわさ”だった。
 アメリカの要求に従って いつでも どこへでも 派兵して戦闘行為そのものをやらせる内容で、これが通ったら9条なんて無きも同然となる。こんなキケンなものが年内にも通されようとしているのを早く 十分に みんなに知らせなくてはと焦る思いだ。
 改憲にシャカリキだったアベ政権が倒れてこちら側に安堵感というか中だるみ感が漂うのも気になるところ。
 弁護士9条の会から各会共同で反対署名や集会に取り組みたいとの提案もありこの危機をチャンスにかえて大きなまとまりとなって 反対の輪を広げていけたら いいなーと思いつつ 日差しの和らいだなかを夕飯の買い物をして帰った。
                                                         

 

O-27

自衛隊海外派兵恒久法ってこんなに危険? 

2008.7.26

 矢口 G

 憲法改正論議が静まったかのような中で、今自衛隊海外派兵恒久法の準備がされている。
 私はこの法律を「特措法のような時限立法は面倒だから期限を延ばすだけ」と思っていましたが、先日の弁護士九条の会・おおたや大田区内「九条の会」交流集会の講演会で恒久法の危険性をはっきり理解できました。(豊下関西学院大教授及び海部弁護士の講演)
 つまりこの法案は、憲法九条を公然と破り骨抜きにしてしまうネライを持っており、集団的自衛権の行使(同盟を結ぶアメリカが攻撃されたら日本も反撃に加わる)に踏み込むような大変危険な内容を持っていることです。
 この法案の素案といわれる「国際平和協力法案」(自民党石破試案)のいくつかの項目を見てみるとこんなにすごいのです。
*いつでも、どこへでも、期限も無く、自衛隊派兵可能
*どういう活動をするか : 「後方支援」から「前線での戦闘も含む」へ
*どういう時に武器を使うか : 「正当防衛、緊急避難」から「自衛隊の指揮・命令に基づく活動(自衛隊の判断次第)」となり民衆へ銃を向けることも可能
*どういう武器を使うか : 「小型武器」から「小型武器に限らない(重火器を含む)」へ
*出動要件 : 幾つかある中で「国際的協調の下に(アメリカとの協調で)」と、国連決議があってもなくても自衛隊出動が可能となる
 こんなことが企まれているわけですが、すでにイラクでの自衛隊活動が名古屋高裁で違憲とされており上記のことが違憲なのは明白です。名古屋高裁判決を生かし反対の機運を強く盛り上げたいと思います。

九条を大切にする人へ朝顔の涼しさを  今月の花 朝顔 入谷の朝顔市にて

 

 

N-2

ニュース46号の「私のひと言」より転載しました

2008.7.22

                                        下丸子  平井佳子
 憲法って本当は身近なものなのに、普段は忘れている。何か事が起こると急接近してくる。特に九条は日常生活から忘れられている。外国の出来事を聞いても遠い国の事としか見ていない。だから九条、九条と声を嗄らして言っても横目で見ている人が多いのかな。今まで私もイラク、アフガニスタン、少し昔のベトナムの惨状の報道を見ても、可哀想、気の毒と思うが、どこか他人事でしかなかった。戦争体験をした人が少なくなり、あの悲惨さは体験した人にしか解らないのでは、そういう私もその一人です。でも今、声を上げなければ手遅れになる。武器を持った人に、人は過剰反応をする。最近世の中が物騒な方向に流されているような不安がある。自分の夫が、息子が、父がと考えてみて下さい。世界に誇れる九条をなくさないように守らなければならない。時代と共に見直しの必要のあるものもあると思うが、戦争放棄という恒久平和の願いは変らない。
 
                                    

 

N-1

ニュースの「私のひと言」より転載しました

2008.6.23

                                          下丸子 中山洋子
 短歌の友人が、世界一周・ピースボードの旅から、帰ってきた。「天高くラスパルマスの九条碑棕櫚の木陰に涼やかにあり」「スペイン語の青き文字なる九条碑改憲さけぶ人にみせたし」と詠んできた。遠いカナリア諸島にあるテルデ市。市長、市議会が平和教育に熱心で、日本の憲法九条が彫られた、青い陶版の碑があるというのだ。驚くと同時に胸が熱くなった。 憲法九条は平和への王道として、世界に広く認識されていることを、あらためて知った。九条を護ることは、日本人としての責任である。

                                           多摩川 清川宜彦
 定年後、油絵を習いはじめた。昨年春の展覧会に出品するために、当時の安倍首相の「美しい国」「戦後レジームからの脱却」に絵で「NO」を意思表示できないかと考え、幼児期の空襲体験の場面と、亡くなった人たちの霊を国蝶オオムラサキが飛翔している姿に、美しい国の象徴に夜明けの富士山をモチーフに1枚の絵を描いた。絵の先生が「九条美術の会の展覧会に出展してみたら」と言われて驚いた。先生も賛同者のお一人だったのである。

                                                佐藤 利文
 私はIT企業に勤める29歳の会社員です。私は3年前に「九条の会」を知りました。憲法第九条が改悪される危機にあることを知り、九条を守るために私にも何かできることがあるのではないかと、この「大田たまがわ九条の会」に参加するようになりました。現在は仕事が忙しいこともあり、なかなか参加できていないのですが……。
 仕事に忙殺される毎日を過ごしていると、憲法の大切さを肌で感じるということは、正直なところありません。しかし毎月の会のニュースを読むと、改憲派の活動が着々と進んでいることがわかり、ゾッとします。安心して仕事をすることができるというのも、国民の平和な生活を守る憲法があるためであることを改めて見つめなおし、今後とも会に参加して活動していきたいと思う日々です。

 

 

O-26

憲法9条 ミュージカル ”ロラ・マシン物語”を観て

2008.6.17

東雪谷 Y.N

 去る6月8日の日曜日、出演者の一人である、友人に誘われてミュージカル“ロラ・マシン物語”を観てきました。
 この物語は、第2次世界大戦で日本軍が現地フィリピンの女性をむりやり連行し「慰安婦」として強姦をくりかえす。トマサ・サリノグ(愛称ロラ・マシン)は、その1人で彼女の悲劇がメインにミュージカルは構成されている。ロラが連行される時、彼女を守ろうとする父は、彼女の目の前で日本兵に首をはねられるのです。そしてこのあと、彼女は性奴隷として屈辱的被害をうけるわけです。終戦後も彼女たちは、自分の身に起こったことは誰にも言えず苦しんできました。(PTSD)
 舞台は、100人からのcast全員の明るい華やかな、歌とおどりで幕が開きましたので、何も知らない私は、はじめ憲法9条と、このミュージカルは、どう関係してくるのかな?と思っていたのですが、そのうち日本兵の残虐なシーンに観客の心は吸い込まれ、まさに戦前の軍国主義憲法の現実が描き出されてくるのです。今の平和憲法、特に戦争を禁止した第9条がいかに尊いものであるか。その根拠がむずかしい理屈でなく、人間一人ひとりの尊厳を守り大切にするという点で、戦前、戦後の明確な対比が浮き彫りになるわけです。
 監督の田中暢(のぶる)さんは、「僕はオーディションはやるが、その人の人生をこの作品にぶっつけてくれれば、全員合格である。」といって107名の素人出演者を集め、それから半年間の練習を積み重ね、この日、甲府で昼と夜2回の公演に、4000人を集めての感動的な舞台を魅せてくれました。
 私は、この107人が解散しないで、さらに公演を続けて頂けないかなあ!と願っているのですが。
 ほんとうにありがとうございました。大きな拍手そして拍手!  

 

 

O-25

現憲法は素晴らしい

2008.6.16

下丸子 横山訓典

 世界のあちこちで戦争の火種は絶えず、武力行使の絶えることがなかった戦後60余年。
我々日本人は一人も戦死者をださずに済んだ。それは日本国憲法が「戦争や武力行使をしない日本に生存する権利」を保障しているからであることに言を待たない。これは本当にすごいことだと思う。
 一方、こんな素晴らしい憲法を変えたいと思う勢力がある。この人たちの言い分は、敗戦国日本がGHQに押し付けられたものであり、現状にあわなくなったので変えなければならないというのである。憲法が創られる過程を描いた「日本の青い空」という映画がある。それを観るとその当時の日本の法律学者達が連日連夜知恵を絞り、憲法草案を創り、上梓している。とても、押し付けとは思えない。たとえこの点を譲ったとしても、現憲法が素晴らしいことには変わりがない。
 最近、名古屋高等裁判所で「自衛隊をイラク及びその周辺地域に派遣したことは違憲であることを確認する」という判決が出た。ところがこの判決に対し「そんなの関係ねえ」と嘯く人たちがいる。普通世の中では、法律を破る者は無法者として処罰される。無法者らが憲法を変えようとしているのである。この憲法を世界に広めることこそが求められている時に、更に軍事費を増やし無法を働こうとする。それもこれも、選挙のたびに彼らにお墨付きを与えてきたからである。総選挙も近いようだし、これらの勢力に一撃を!! 

 

 

O-24

低炭素社会と九条

2008.6.16

 矢口 G

 6月5日は環境の日、6月は環境月間です。
 マスコミでもいろいろ取り上げられ、先日もNHKで低炭素社会への取り組み番組があり、主にドイツと日本を比較していました。ドイツでは環境問題に危機感を強め、政府が率先し強い姿勢で環境政策を進めており、環境税を導入して企業も国民も環境対策コストを負担しています。企業は環境対策負担をバネに技術開発、市場開発を行い、CO2削減と経済成長を両立させ、国民も車から電車へなど必要に迫られ意識改革が進んでいます。こうした政策のモデルは何と日本のオイルショック時の節電対策、排ガス規制した競争力ある車、等々と説明されビックリ。
 今の日本については、「自主的省エネ努力」がメインのため大きく立ち遅れ、CO2削減実績も減らすどころか+6%(ドイツは−18%)と問題提起しています。
 日本では財界の反対が強く、その意向に弱い政府では将来を見据えた国の政策が貧弱です。ただ格差が拡大し生活に窮している層が増えており、単純に環境税導入とはいかず格差の是正を強く進めながらの環境対策を工夫すべきと思います。
 ところで私はボランティアで何か環境問題に取り組もうと思っていましたが、戦争こそ最大の環境破壊と考え、九条の会に参加した理由の一つになっています。
 世界の軍事費が先日発表され、07年に全世界で約142兆円(うち米国が4割を占める)もが消費されましたが、この何割かでも環境対策に向けられたら事態は大きく変わります。
「九条を守りその精神を世界に広げることは地球環境を大きく守る」事に自信を持ち行動しようと思います。

九条を大切にする人へ梅雨時の気晴らしを 今月の花 あじさい 多摩川台公園にて

 

 

O-23

イラク自衛隊派兵は違憲!の判決出る

2008.4.23

 矢口 G

 この17日、名古屋高裁でイラク派兵は憲法違反であるとの判決がでました。
 政府が派兵の言い訳とした、イラクの非戦闘地域への派遣だから問題ない、直接戦闘行為をしているわけではない、という根拠を明確に否定しました。
 当然ながらバグダットなどは明らかに戦闘地域であり、航空自衛隊が活動するバグダット空港だけが非戦闘地域などというのはあり得ないし、武装した米兵等の輸送は戦闘行為の一部である、と指摘したわけです。
 それにしても小泉元首相が「どこが戦闘地域でどこが非戦闘地域か、私に聞かれたってわかるわけがない」、更に「自衛隊が活動しているところは非戦闘地域だ」(それなら自衛隊がバグダットへ行けばそこは非戦闘地域になるのか?)のようにお笑いに出てくるような言い訳で強行してきました。
 こうなるとさすがに非常識な法解釈を裁判所が認めなかったことは当然です。
 この判決を久しぶりの明るいニュースとして嬉しく思いましたが、一方で気になることもあります。
 最近の言論、表現の自由をめぐる問題です。映画「靖国」に対する圧力と一部の上映自粛、(イラク派兵反対等の)ビラ配布者の逮捕・有罪判決、プリンスホテルが右翼等の宣伝を理由に日教組集会への会場貸与のキャンセル等々です。
 これらがより進行すれば間違いなく物言えぬ戦前のような社会に近づいてしまいます。
映画「靖国」は話題になったせいで観たいという人が増えているそうですが、もっと話題にして多くの人の議論が巻き起こればと思います。
 嫌がらせを恐れてイベントなどを中止すれば、それこそ嫌がらせ連中の思うツボで、彼らは「自信」を持ってもっと騒ぎ立てることでしょう。毅然としてやり通すこと、やり通してもらうための世論が大事だと思います。言論、表現の自由を守ることと九条を守ることは密接にからむ大切なことだと思いますので。

 それにしても4月21日付朝日新聞世論調査によると、福田内閣支持率が急落し最低の25%(あの安倍内閣の最低支持率26%より悪い)となりました。年金、高齢者医療、ガソリン暫定税率等々生活圧迫の政策が国民から反発されていることの反映です。
 憲法についても護憲の世論が高まっており、福田内閣がイラクからの自衛隊撤退を拒否し、憲法改定を進めようとしているのは民意に大きく反するものです。
 九条の会ホームページのニュースによると、読売新聞の世論調査(4月8日)では、憲法全体でもついに護憲が改憲を上回ったそうです。(九条については前から護憲が多数) この護憲派が多くなった流れは、全国の九条の会の盛り上がりと連動しているそうです。
 5月3日(憲法記念日)には、当大田たまがわ九条の会で九条アピールという地域の人に語りかける催しをします。全国でも様々な催しがあるでしょう。5月4,5日には9条世界会議(幕張メッセ)という大きな催しもあります。
 青葉薫るこの時期、九条を守り・生かす運動を盛り上げ、より大きな世論にしていきたいものです。

 

九条を大切にする人へ賛同の花の輪を  今月の花 八重桜とチューリップ

馬事公苑にて(4月15日 8分咲きぐらいでした)

横浜公園(関内駅前)にて(4月16日ほぼ満開でした)

 

 

O-22

改めて怒り!3月10日東京大空襲

2008.3.24

 矢口 G

 63年前の東京大空襲を風化させないため、テレビで大空襲についてのドラマ、ドキュメンタリーがありました。
 その一つが「3月10日東京大空襲 語られなかった33枚の真実」です。当時警察官だった石川光陽氏が上司の命令で空襲直後撮った33枚の写真を中心に、多くの実在者を訪ねドラマ化したものです。
 当時の日本のお粗末な防災体制と米軍の最新鋭兵器の進展を対比させながら「その時」を迎えます。日本の消火訓練では、「人体の6割は水分だから何も無い時は腹で焼夷弾を消せ」などと言っていたのに対し、アメリカでは如何にして日本の町並みを破壊できるか実験検討しゼリー状のガソリン(ナパーム)が入った新型焼夷弾を完成。これにはアメリカ最大の石油会社が中心となり莫大な利益をあげたとか。(軍需産業の一例です)
 また「戦争を早く終わらせる」という名目で、地域全体を狙った無差別爆撃が企図され、被害を大きくするため関東大震災で被害の大きかった地域を参考に選んだそうです。
 日本は日中戦争のさなか、中国重慶市に無差別爆撃を行いアメリカ等から非難されましたが、東京ではアメリカがやっているのです。日本の敗色が濃厚な時に一般市民を標的にした行為は問題です。これを企画、指揮したカーチス・ルメイ司令官は10万人以上も死に追いやったというのに、なんと昭和39年に日本から外国人としては最高位の勲一等旭日大授章を授与されているのです!航空自衛隊の創設、育成に貢献したとかで。(勲章なるものの正体とアメリカべったりの日本政府の姿勢をよく表していますが、彼は航空自衛隊に無差別爆撃のやり方でも教えたのだろうか?)
 証言者が語る人間が生きながら焼かれていく様。黒こげの死体、蒸し焼きの死体の山、今にも起き上がりそうな川辺の無数の死体、それらを身の危険も顧みず石川氏は撮った。
 石川氏が「カメラマンは自分が写したものが命であり、あの記録を後世に残すため」に命をかけて米軍から撮影したネガを守ったのは立派で、死者に向かってカメラを向けたことに申し訳ないという気持ちが強かったというのもよくわかりました。
 犠牲者が写真を通して訴えたいのは、2度とこのような目に遭いたくない、またあってはいけないということだと思います。

 仮埋葬地(遺体が多すぎて埋葬ができず穴の中にただ埋めただけ)と被災者を撮った写真家広瀬美紀さんの個展に行きましたが、被災者の顔と説明文をじっと見ていると悲痛な経験や戦後の苦しい生活が感じられました。
 生き残った被災者は家を失い、家族を失って戦後を生き抜くのが大変辛かったそうで、最近軍人・軍属だけでなく民間の空襲被害者にも戦後補償を求めて立ち上がり、裁判を起こしています。

 「東京大空襲・戦災資料センター」にも行ってみました。
焼夷弾の一部実物模型とか、焼け焦げた着物、高熱で溶けた皿、被災地図に記された沢山の仮埋葬地など多くの資料が展示されています。是非行かれることをお勧めします。
詳しくは http://www.tokyo-sensai.net/ をどうぞ。

一部実物焼夷弾模型                     

戦災資料センター前にある母子像「戦火の下で」

 両国国技館そばにある空襲被害者の無縁仏を祭る「東京都慰霊堂」にも行ってみました。3月10日に中を公開するそうです。
 東京大空襲での犠牲者10万人、先の戦争での日本人死者300万人。一方日本軍が侵略したことによるアジアの死者は2000万人。日本が起こした戦争に起因しています。
 日本は自分達の侵略の非を謝罪、反省すると共に、日本への無差別攻撃にはきちんと抗議すべきです。そして平和憲法を守り二度と戦争は起こさないことを明言し、平和外交を積極的に展開すべきです。

 

九条を大切にする人に野の花のたくましさを!  今月の花 多摩川土手に咲く花(3月22日)

 

 

O-21

ここでも憲法を空洞化、改悪する動き

2008.2.23

 矢口 G

 最近ワーキング・プアについてテレビで特集が組まれたり、国会で論議されたりでその深刻な実態に改めて驚いています。

 先日弁護士九条の会・おおた主催の「格差社会を考える」という集いに参加しました。 

 ワーキング・プア(働く貧困層)問題がメインでしたが、彼らが相談を寄せる問題はいろいろあり、「違法の3点セット」として残業代未払い、社会保険未加入、年次有給休暇取得させない、などの他、些細なきっかけで解雇されるという。
 なぜ今これが多発しているかというと、急激なグローバル化、競争化の中で人件費削減が至上命題となり、財界の要求のもと政府与党が労働者派遣法制定と規制緩和を行い、大量の正規労働者が非正規労働者(低賃金化)へと押し流されていったためだそうです。
一方でワークング・プアの人達の運動が始まりつつあり、例として「反貧困たすけあいネットワーク」「首都圏青年ユニオン」等々があげられました。

 首都圏青年ユニオンは以下のようなユニークな活動スタイルをとっているそうです。
・若者のための個人加入組合で組合員自身の自主性を尊重
・団交(団体交渉)要求書も組合員自身(当事者)が作成、交渉の中心となり、専従者や他の組合員はそれをサポートするだけ(専従者の請負にしない)
・組合員全員が入っているメーリングリストで団交参加呼びかけ(組合員参加型の団交)。
都合のつく人が集まり路上で輪になって事前打合せを行い、交渉終了後また路上で反省会を開く。
・団交の場が学習の場(相手を説得する力、相手の主張に反論する力を身につける)
組合まかせでなく、本人が交渉の中心となりいろいろ経験していくことで権利意識が身に付くと共に、ノウハウが多くの若者に広がるそうです。
 ワークング・プアの人達は仲間意識がなく、権利の主張も知らないため、自分が悪いと思ったり、日々の生活でいっぱいのため全く展望が持てなかったが、組合に入り仲間ができた喜び、同じ苦しみを味わう人とのつながりを実感しているそうです。
 劣悪不当な賃金、労働条件を改善する上で最も頼りとするのは、憲法25条(〜健康で文化的な最低限度の生活〜)、27条(〜勤労の権利、義務〜)、28条(勤労者の団結権)だそうです。

 そうであればこそ財界、政府与党は自らの利益拡大を期すため、この条項での憲法改悪もねらうわけで、この点では(海外の)利権獲得のための軍事力拡大、軍需産業の拡大を願う憲法九条改悪推進も同じ意図を持った動きであることがわかります。

九条を大切にする人に梅の香りを! 今月の花 梅

池上梅園にて(2月22日 今見頃です メジロもいました)

 

 

O-20

二つの九条

2008.1.25

 若 林  徹

 “二つの九条”とは、判じ物めいていますが、一つは、もちろん憲法9条、そして、もう一つは、刑法9条です。刑法9条は、刑の種類を定めており、「懲役、禁固、罰金…」の頭に「死刑」を置いています。もう一つの九条問題というのは、この「死刑」を削除して死刑制度を廃止すべきだという主張です。刑事法学の権威で、最高裁の判事も勤められ、気骨あるリベラルな判決文や「少数意見」を数多く書かれた団藤重光さんは、死刑廃止を訴えています。団藤さんは、人間が人間を殺すことは許されないということから、「死刑」も「戦争」も憲法以前にあってはならないことと断じて、死刑制度廃止と戦争廃止、憲法九条を守ることをつなげて捉えています。

 国家による特定少数の殺人「死刑」も、不特定多数の殺人「戦争」もともに認めないという団藤重光さんの、両者を連続して捉える視点は大切だと思います。九条の会が憲法九条を守ることと併せて、死刑制度廃止を課題として取り上げるのは、難しいかもしれません。私個人としては、両者は密接に関連した問題としてともに取組んでいきたいと考えています。

 今は「死刑」なぞ自分には関係ないと考えている人が大部分でしょうが、自分が無実の罪で犯人に仕立てられ、死刑判決を受ける立場に立つ可能性がなくはありません。また自分が殺人や凶悪犯罪を犯してしまうことだってあり得ないことではないでしょう。逆にまた、近々「裁判員制度」が実施されますが、普通の国民のあなたや私が裁判員に選ばれて、死刑や無期懲役に該当するような重大刑事裁判を担当させられることになります。死刑判決を下すことになるかもしれません。死刑が執行されてから、無実だったことが判明するなどということが、一定の確率で起こるでしょう。戦争をめぐってもそうですが、さまざまな立場に想像力を働かせてみたいものです。

 

O-19

二つの迫り来るもの!

2008.1.24

 矢口 G

 先日NHKでパンデミック・フルーという新型インフルエンザの感染爆発について番組がありました。致死率60%といわれる「鳥→人」ウイルスが、「人→人」に変異するのは時間の問題といわれる。だれもそのウイルスに対し免疫を持たないし、毒性、感染力も未知なので日本での犠牲者は数十万とも数百万とも言っていました。今まさにウイルスはヒタヒタと変異中ですが、まだ多くの国民は大きな危機感をもって対応しているとは思えません。
(日本政府の対策はアメリカと比較してかなり遅れているそうです。)

 一方、日本の軍事化については(ウイルスが変異を続けるが如く)戦後既成事実を重ねてついに自衛隊が海外で油、水の補給という戦争行為の一端を担うまでになってしまいました。憲法九条の空洞化(解釈改憲)です。少しずつ巧妙に変えられてきたのでここまできてしまいました。そしてある日憲法九条改定の投票がやられる、、、、。九条が改定されれば日本は米軍と共同で本格的に(テロ対策等の名目で)軍事行動に踏み切り、かっての戦争の二の舞になってしまいます。

 既にイラクで米軍は約4千人死亡しイラク人は15万とも。先の大戦では日本の死者300万、日本が侵略したことによる海外の死者は2000万。
ウイルスのほうは自然災害に近いので完全防御は難しいけれど、戦争は完全に人災!

 人災であれば、今進行しつつある危険な事態に早く多くの人が目覚め、適切な対応をとることが求められます。
 多くの人に危険な状況を理解してもらいましょう。

九条を大切にする人の心に安らぎを! 今月の花 冬ボタン

上野東照宮(上野動物園すぐそば)ボタン園にて  (冬ボタンが見られる数少ないところです)

 

O-18

Mさんへ

2008.1.14

 千鳥 K.I

 9条の会の新年会にいらっしゃれなかったのはホントに残念でした。プラザの会議室でいつものメンバー+アルファーの20人程のあつまりでした。でもそのアルファーが秀逸でした。まず四歳ぐらいの愛らしいお嬢ちゃん。彼女は中高年のおじさん おばさんに囲まれても なんら臆する風もなく 2つも歌を歌ってくれたのです。そのうちの一つはなんと ”あわてんぼうのサンタさん”! 

 その次はいいご機嫌となった年輩の方。一人一人が 自己紹介する傍らで “人の話はよく 聞かなきゃいけない”という独自の演説を展開しつつ 自己紹介の話にも絶妙のタイミングで合いの手やらチャチャをいれるので 私達は3分に1回は爆笑するというイヨーな盛りあがりとなったのです。

 最後に千鳥町の"シンチク マンション”に越して来られたご夫婦は若若しく力強く 出版関係のお仕事とかで 今後のお力添えを期待できる方々でした。

 ”一品もち寄り歓迎”だったのでいろいろな 料理やらデザートやらがところ狭しと並びました。”誰それさんの作った”となると味わいも格別です。凝り性のあなたの十八番の手料理は何だったのでしょうか。
お味見したかったなー。 しめはなんと ”事務局長のギターで”歌ったのでした。

 Mさん 先の長いこのタタカイ。 私達には あなたの凝り性と笑顔が必要です。手の空いたときにはきっと寄ってくださいね。 では また。

 

O-17

ドキュメンタリー映画 Tokko 特攻

2007.7.31

 千鳥 K.I

 よかったです。私の知らない戦争の実写フィルムがいっぱいあって、今まで漠然とイメージしていた戦争の実態をかいま見た気がしました。

 特攻の生き残りの人が どんな状況で どんな気持ちで 特攻となって どんなことを体験し どんなことを感じたかを “隣のおじさん” のように自分の言葉で語ってくれるのです。

 特攻の教官が 若い人を次々に送り出し “後から俺も”といいながら 結局自分は行かずに済ませた人が多かったと知りました。

 当時の日本と変わらずに今もイラクやパレスチナや どの戦場でも指導者はぬくぬくと後ろに控え若い人が同じ目にあっていると思うと ほんとに腹がたち ”みんな だまされないで。 誰かが自分の金と権力のために ヒトに戦争させてるのよ!” と叫びたくなりました。

 

O-16

5・3憲法集会に参加して 

2007.5.6

 矢口 G

 5月3日、「改憲手続き法はいらない 5・3憲法集会」に参加しました。
1時からの日比谷公会堂での講演はすでに満席で、多くの参加者と共に会場外に設置されたスクリーンを見ながらの参加となりました。

 中央大教授の植野さん、広島平和研究所所長の浅井さん、社民党の福島さん、共産党の志井さんが、安倍首相の進める憲法改定の姿勢を強い調子で批判し、緊急の課題である改憲手続き法案の問題点、国民の慎重審議を求める声を無視する点を批判しました。
 5月のわりには気温も高く陽ざしも強い中、参加者は事の重大性を改めてかみしめているかのようにじっと聞き入っていました。

 集会が終わるとパレードがはじまりました。
スタート前に周りを見渡すと、色とりどり、文言も様々なノボリ、プラカード、ゼッケン、うちわなどがあふれ、厳しい情況も忘れて気持ちが高揚してしまうほどでした。
 パレードは日比谷公園から有楽町を通り東京駅へ向け外堀通りを進みました。
銀座のビル街を大田たまがわ九条の会の旗がはためき、それが青空に映えて(改憲手続き法さえ無ければ)とても気持ちが良いウオークでした。
 特に沿道の人や信号待ちをする多くの人に、私達の主張を伝えることができましたし、手を振って応援してくれる人がいたこともうれしいことでした。集会参加者は6000人、パレード参加者は7000人と発表されました。
もちろん全国各地でも様々な行動が起こされていたことでしょうし、多くの国民が憲法擁護、とりわけ改憲手続き法は問題だとわかり始めたと思いますが、もっと早く国民的運動を盛り上げる必要があると思いました。

 各種世論調査では、憲法9条は変えない方がいいという割合がじわじわと増えているようですが、改憲側はいずれ大規模なキャンペーンで反撃してくるでしょう。
 今日のようなパレードはもちろん大切ですが、九条の会のような地域での地道な運動がしっかりした世論を作っていく基盤だと思いつつパレードを終わりました。

 

 

O-15

せーがんデモ記

2007.4.15

 千鳥 K.I

 国民投票法案がもうすぐ採決され衆議院を通過するという12日 いてもたってもいられない気持ちで九条の仲間と日比谷の抗議集会に参加した。 野外音楽堂はいっぱいだったけど、ぎっしり鈴なりというほどではない。ちょっと熱気が足りないよねって感じだった。

 志位さん、福島さん(真っ赤な勝負服だった)がそれぞれ 参院での廃案を叫んで連帯を誓ってくれたけれどでも具体的にどうやったら 阻止できるんだろう。

 アーサー ビナードさんの”憲法はちっとも古くなっていない。新品同様だ”という言葉に深くうなずいた。政府はこれまで 誠実に平和を希求して 外交をしたことなんてなかった。従軍慰安婦問題1つをとってみてもそれは明らかだ。同時に私たちが せっかくの憲法を活かしてこなかったんじゃないかと後悔した。九条があるから 戦争はしなくてすむと 9条に寄りかかってきたんじゃないかと後悔した。これは健康と似ている。あるときは当たり前と思い うしなってから有りがたさがわかる。

 アピールを採択して国会に向かった。“アベやめろー“とか“九条守れー”とかシュプレヒコールをしながら 衆院と参院の議員会館玄関前までいく。 社民と共産の議員さんが出でいてくれてデモのひとが握手をしたり ケータイで写真を撮ったりする。 これがセーガン(請願)か?

 ここをすぎると 三々五々解散となった。心地よいヒロウ。でもこれで満足している場合じゃない。これからもずっと粘り強く行動していくしかない。みんなと力を合わせて。えいえいおー

 

O-14

20数年ぶりに国会デモに参加して

2007.4.15

下丸子 K.

 4月12日の日比谷野外音楽堂での「STOP! 改憲手続き法案4.12大集会」と、引き続いての国会請願デモに参加しました。

 集会の開会は、衆議院憲法特別委員会で強行採決された後でしたので、抗議の集会となりました。集会では、引き続き参議院で廃案に追い込むことが確認されました。

 集会後、国会請願デモを行いましたが、私は国会デモは20数年ぶりの参加で、感慨深いものがありました。

 デモは国会への要請、歩行者への宣伝が第一義でしょうが、仲間が大勢いて、連帯を確認し合えることが二義的ではありますが、大きな意義があると再確認できました。

 

 

O-13

「明日」の為に、九条だけは死守したいです

2007.4.11

雪谷大塚 李ひとみ

 賢く、心優しい日本人が、どんどんバカになってきたのは、大人が大人でなくなった所為です。
世界に誇れるものが、どんどん少なくなって来た今、これで九条がなくなってしまったら未来に「希望」がなくなります。もうぢっとなんかしていられません。

 戦争は「悪い事」だと分かっているのに、世界からなくなりません。
「国家」という言葉を利用し、国民に「恐怖」と「憎悪」を植え付け、一部の企業とそれに寄生する政治家に騙されているだけだという事を私達は早く気がつかなければなりません。

 「明日」の為に、九条だけは死守したいです。

 

 

O-12

嬉しかったリアクション

2006.11.9

下丸子 Y.M.

 私は家で数人の中高生に英語を教えている。毎週和文英訳の問題を自分で作り宿題として渡すこと
にしている。先週、ちょっと難しい語句が並んで気の毒と思ったが、電子辞書も持っていることだし単語は簡単に引けるので高二の生徒に次のような問題を作って渡した。

@日本国憲法は民主的で文化的な国家を建設し、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする私達
 の決意を示している。
Aこの理想を実現する為には教育が必要なので、1947年に11の条文からなる教育基本法が制定
 された。
B個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成もこの法律の目的である。
C又、普遍的で個性豊かな文化の創造を目指す教育が普及されなくてはならないと述べている。
D今、政府は現行の教育基本法の改定を審議している。
E新しい案は、国家が求める人間像を示し、従順な人間を育てることを目的とし、私たちが愛国心を
 持ち、国の為に命を捧げる国民になることを期待している。
F安倍首相は日本国憲法も変えたがっている。
G彼らは憲法九条の戦争放棄を削除し、日本を海外で戦争をする国にしようとしている。

 ラグビーに明け暮れ、憲法の問題などどこ吹く風という感じの青年なので、一週間後、「これは苦労したけど面白かった」「親父が珍しく勉強してるなと驚いてた」などと言いながら苦労の跡が見られるプリントを見せたのにはびっくりした。私の力の範囲で精一杯アドバイスさせてもらった。○をもらえたのはF番だけだったが満足の様子だった。

 最後に彼は「確かにあれはおかしいね」と言った。何のことかと思ったら学校からの帰りの車中、携帯電話でインターネットに接続して教育基本法の「改正」案を読んだということだった。
 私は今こんなことが起こっているのだという事を知ってくれればという程度の気持ちでしたことだったので大変嬉しかった。

 

O-11

映画「蟻の兵隊」を観て・・・

2006.10.1

下丸子 H.S

 戦後61年も経つのにこんな事があったなんて初めて知りました。終戦後も中国に残 り共産党軍と戦うよう命じられた日本兵たちと彼らを置き去りにしてさっさと帰国していた上官。

 兵隊たちは帰国しても、軍はそん な命令はしていない自分達の意志で残ったのだ と見なされ、恩給も貰えず、裁判を起こしてきましたが、最高裁でも棄却されてしま いました。あまりにもひどい話です。

 兵隊の一人だった奥村和一さんがその証拠となる資料を探しに中国へ行くのですが、それはまた中国人に対して残虐な行為を行った自分達の過去とも向き合う辛い旅でした。生々しくて観ていてとても辛かったです。

 以前九条の会 で戦争体験を聞いた時とはまた違った感覚でした。あの戦争についてまだ知らない事がたくさんあるのかもしれません。

 こういうドキュ メンタリー映画がなければ知らなかった事実です。この映画に多くの人が足を運んでいることはせめてもの救いですが、もっともっと若 い人たちに観てもらいたいと思いました!!!

 文京シビックホールの講演会行けなくて残念でした。監督さんのお話聞きたかったです(T_T) 

 

O-10

ドキュメンタリ−映画「蟻の兵隊」をみて

2006.9.28

下丸子 K.T

 61年前に迎えた終戦。その以前に何があったのか、以後どのようなことが 起こっていたのか、私達は何も見ていない。

 今、手探りで 色々な書籍を読んだり、ドキュメンタリ−の映画を見たり、体験された方の話を聞いたり 自分自身で知ろうとしなければ、何も入ってこない。この映画も戦後、共産党軍となおも闘うために中国に残留させられた日本兵たちの話。国の命令に従い とった行動だが 国からも見放され 戦後の行き場所を無くしている。

 色々な講演会や映画に足を運ぶとき、そこに集う人の年齢層は高い。
そして、そこに集う人達の顔ぶれも同じ。是非見て欲しい人達がそこにはいない。

 情報が氾濫している昨今、メディアリテラシ−ではないが、正しい情報を見抜く力、と言われても、人は自分に興味があったり共感する情報ばかりを選択している。

 きっと、自分の支持する情報はより広く深くなるのに 自分の支持してない情報に耳を傾けようとしないから、お互いの気持はどんどん強くなり平行線をたどるような気がする。

 私はなるべく自分と違う意見の人の文章や考えを聞くようにしている。そして自分と根本的に違う所が見つかると、自分の考えが深まるように思えるからだ。

 

 

O-9

日本の美しさを大切にしよう

2006.5.10

矢口3丁目 G

 先のゴールデンウィークは花を求めて近郊の名所をいくつか周ってみました。
今回初めて青梅線河辺(かべ)にある塩船観音寺にも行ってみました。
観音寺を囲むような山の斜面につつじが咲き乱れ、緑の葉と赤、ピンク、紫、白等の花のコントラストとパノラマ状の景観はなんとも言えぬ美しさでした。
またつつじの花々は寺や鐘突き堂の屋根や池ともよく合っていました。

 別の日には亀戸天神の藤の花を見にいきました。紫色のこの花は控えめな感じもしますが、まとまって咲くとなかなか迫力があります。
こちらも和風の庭園や池などと実によく似合い、香りとともに春を感じさせる花となっています。

 こんな美しいところをいくつか散策し気持ち良く連休を過ごしたのに、連休後は一気に現実社会に引き戻され容易ではない状況を感じています。
国会では教育基本法改定、国民投票法案、共謀罪新設、米軍再編と非常に重要な法案が話題になっていますが、これらの法案をよく見ると結局「憲法(特に9条)を改定して自衛隊を米軍の統制下のもと海外で戦争ができるようにし、国民の不満や反対を抑えつけるために教育に権力がより介入して愛国心を鼓舞し、それでも反対する人々は共謀罪で次々と拘束していく、、、、、、まさに戦前の社会のような、権力に都合のよい社会をめざす周到な意図」を感じます。
 戦前はこうして戦争に突入し、日本を破壊に導きました。
私は美しい景色や建物を見る度に、日本全体を結果的に荒廃に導くいかなる企みにも
反対していかなくてはと思っています。
この連休中、古都鎌倉を散策していたら当地の九条の会らしいグループが、「憲法九条
変える?変えない?全国意見投票」ということで観光で賑わう駅前の通行人に賛否の
シール貼りをお願いしていました。

 京都といい、鎌倉といい古都のイメージから保守的に見られがちですが、東京
(中央権力)に対する反骨からか文化人が多いからか進歩的な動きも大きいようです。
私達の地域でももっと皆さんに事の本質を知ってもらい憲法を輝かせる方向の力を
強めたいと思っています。

 

O-8

最近のマスコミ報道で感じたこと

2005.12.13

矢口 三ッ橋

 先月19日の憲法講演会に参加し元気を貰いましたが、講演会後まだ1カ月も経たないのに、この間の、軍事大国化への体制作りと改憲への雰囲気作りと思えるニュースの多いのには驚いています。

 陸自と米陸軍の市街戦訓練、美浜原発を舞台にテロ攻撃を想定した実働訓練、防衛庁の「省」昇格、「シーレーン防衛」、映画「亡国のイージス」に続く「男たちの大和」キャンペーン、立川ビラ配布事件の逆転敗訴、等々あげれば切りがありません。

 まるで日本のどこかに、軍事大国化をめざす総司令部があるかのようです。このまま事態が進行していった先を想像すると、空恐ろしくなります。

 「軍事大国日本」の悪夢を現実のものとさせないためにも、憲法の改悪を、何としても阻止しなければならないと、あらためて思いました。

 一人一人の力は小さくても、「九条の会」が訴えられているような運動をとことん追及して行けば、改憲を阻止することも出来るのではないかと思っています。

 

WT-2

自衛隊を認めるか、認めないかは、現在の争点ではない

2005.12.5

下丸子 K.

 友人達と、9条のことで議論しますと、現代では、昔のような植民地戦争、他国を占領しての収奪などは有り得ないと一致しても、ややもすると「自衛権は持つべき」「いや、過去の戦争は自衛という口実で始まっている」などの話に終始し、議論がそれ以上に進まなかった経験があります。

 そこで、以前このコーナに、「自衛権は必要という人も」(O-3)を投稿しましたが、今回の渡辺教授の講演の質疑応答で、

 ・自衛隊は自衛に限っては、認めても良いのでは?

 ・自衛であっても、軍隊は持ってはいけないのでは?

という質問にたいし、渡辺教授から、

 ・自衛隊を認めるか、認めないかは、現在の争点ではない。

 ・海外で戦争をする国にならない、海外で人を殺さないという点で一致して運動を進めることが大事。
との回答があり、すっきりしました。

 「海外で戦争をする国になってはいけない」、「海外で人を殺す国になってはいけない」ということは、国民の大多数の願いと思います。

 この願いを、大きな世論としていくことが大事と思いました。

 

WT-1

感慨深かった「憲法九条を輝かせる集い」

2005.12.5

下丸子 Y.M.

 今年の5月に賛同署名をし、毎月の準備会にも座っているだけでも応援になると思い出席した。

 7月に憲法講演会の企画が成立し、4ヶ月間の準備を経て迎えた11月19日の「憲法九条を輝かせる集い」には176名の方々が一ツ橋大学教授の渡辺治さんの「九条の力と可能性」と題した講演を聴きに来られた。改憲問題に関心を持つ方々にとても有意義な集いだった。

 準備の仲間に入れていただいた者にとっても感慨深かった。何回も準備会で話し合い、メンバーがそれぞれ出来ることを引き受けた。私も朝晩降圧剤を飲んでいる身だが、出来ることを見つけてさせていただいた。チラシ配布などは他の方々の半分も協力出来なかったが、チケットとカンパ箱を作らせていただいた。

 講演会が終了し、後片付けを済ませ、「大成功でしたね、お疲れ様!」とねぎらいの言葉をかけあった時の皆さんの笑顔が今も忘れられない。改憲の動きが加速されている今、一人でも多くの方々が時間と力を提供し合って九条を守って行く必要があると思う。            Best Wishes For 2006 !(^^)!

 

E-1

背景画を更新しました

2005.11.21

事務局

トップページの背景画を更新しました。 トップページでは透かし調でしたので、原画を紹介します。

 

O-7

まずは、自分の周りからトライするしかない

2005.8.30

下丸子・山本範子

はじめまして

「戦争体験を聞く会」に参加し、賛同した山本と申します。準備会に参加したいと思いながら、雑務に追われなかなか足を運べず残念ですが、いつも皆さんの地道なでも確かな一歩を感じながらニュースを読ませていただいております。

杉並の教科書採択決定にもがっかりしましたが、先日読んだ「日本国憲法の論点」伊藤真著にも書かれている通り、現実に国民投票を視野に入れている政府案のやり方に、危惧を感ぜずにはおれません。あれよあれよという間に改正なんて事になったら、この先どうなるのか日々の暮らしの中で、具体的に私たちに及ぶ影響を考えていかねばならないと実感しました。

まずは、自分の周りからトライするしかないとは思います。

できるだけこの地域の中で関わっていけたらと思っています。

微力ながら皆さんの活動にできるだけ参加するつもりでいますので宜しくお願い致します

 

O-6

戦後に生きる責任

2005.8.16

下丸子・Jun

 沖縄で巨大な米軍基地を目にし、在日韓国人から壮絶ないじめの体験談を聞き、健康に不安を感じる被爆者を知ると、戦後は過去ではなく、これらの現実と同時代に生きる私はこれらの事実をどのように受け止めるか、その責任から免れ得ないことに気づきます。

 先日は靖国神社を訪ね、高橋哲哉の「靖国問題」を読み、国家が国民を戦争に駆り立てることを正当化する装置が国家元首に正々堂々と称えられるのが今の日本なのだと思い知りました。

 昨年亡くなったエドワード・サイードがNHKのドキュメンタリー番組に出演した際にプロデューサーに以下の言葉を残していたのがとても印象的でしたので以下に引用します。
「私はもし、日本の憲法が改定されるとしたら、それは悲劇だと思います。なぜなら、いったん戦争を禁止したあとで、再びそれを認めるということは非常に危険な先例をつくることになるからです。」

 戦争をできる憲法を持つことは普通の国に近づくことではない、被爆という特異な体験を持つ国、空襲や沖縄での陸上戦の惨さを知っているからこそ、戦争放棄を謳う憲法が民衆に受け入れられる土壌があったのだと思います。その痛みを知ったうえで戦争放棄を憲法に謳ってきた歴史を持つこの国に生きる人々がその憲法を放棄するということは、痛みが他者に及ぶことへの想像力を否定することであり、痛みの記憶を否定することなのだと思いました。

 

O-5

技術者の立場から

2005.8.16

 池上・システムエンジニア

 2年前にアメリカに攻撃を受けたイラクは良くも悪くも何もかも壊れてしまって、生活を再建することが大変なことを報道を通して感じています。恐らく60年前の日本も同じだったことでしょう。

 技術者の立場から、NHKの番組Project Xを見ると、アメリカの身勝手によって日本が失った科学技術がどれだけたくさんあったことか計り知ることができません。科学技術であれ、思想であれ、長年われわれが積み重ねてきたものが戦争によって失うことによる代償が大きすぎます。

 

E-3

行って来ました 有明講演会

2005.8.2

 千鳥 K.I

 9500人と10,000人にはちょっとかけましたが、暑さのせいと夏休み中のためでしょうか。 超満員とはいきませんでしたが盛会でした。

 各氏の話は、それぞれ豊かな教養と知性とそのうえユーモアあふれるものでしたが、三木さんのとにかく平和で静かな生活を送りたいという願いと ”戦争の悲惨さを若い人に伝えなくちゃ” という切迫感は、女性ならだれでも母ならばなおのこと素直に素朴に共感できるものでした。 

澤地さんの、私たち一人一人が ”9条の○○さん” になってほしいというメッセージになんといっても、地域での一人一人の積み重ねがなくてはどうにもならないとの思いを新たにしました。

5年さきではわからないが10年さきなら ”新しい人達” によって変化があるかもしれないという大江さんの見方とその紹介された詩に希望を託して帰ってきました。

 

E-2

九条の会・有明講演会へ行ってきました

2005.8.2

 矢口 阿部義孝

 去る7月30日、ここのホームページでも案内しました九条の会・有明講演会へ行ってきました。会場は有明コロシアムで、当日も大変蒸し暑く国際展示場駅からわずか5分ぐらいの距離なのにフラフラしそうな状態になりました。その途中の暑いさなか、九条に関連した十以上の団体がチラシを配り訴えていました。こういう時って「こんな団体も頑張っているんだ」と思いつつ励まされるものです。

 講演会の司会は九条の会事務局長の小森東大教授と、大田たまがわ九条の会主催で11月に行う講演会の講師である渡辺一橋大学大学院教授が行いました。その司会者から、全国の各種九条の会が(7月30日現在)3026にもなったことが紹介され大きな拍手が起こりました。

 講演は三木睦子さん、鶴見俊輔さん、小田実さん、奥平康弘さん、大江健三郎さん、井上ひさしさんが行いました。それぞれの持ち時間が少ない分、個性ある中身の濃い話になっていたと思います。

 憲法研究者の奥平さんの話では、九条2項で自衛のための軍隊の所持を認めることにしてしまうと、あとは個別であれ集団的であれ自衛という名のもとに軍隊の出動を許してしまうこと、更に九条1項の平和主義は2項が改変されると全く意味をなさなくなってしまうことが強調されていました。

このあたりは11月の(大田たまがわ九条の会主催の)講演会でもっと良く理解したいと思いました。

 大江さんは、5年後10年後について、5年後はそう変わらないかもしれないが、10年後に思いをはせ次のような詩を読み上げました。「求めるなら 変化は来る しかし 決して 君の知らなかった仕方で」 これは特に若い世代にたいする大きなメッセージだと思いました。

 井上ひさしさんは、昭和20年の日本の男子平均寿命が、戦死や食料品、医療品の不足などにより24歳ぐらいだったこと、戦死とされた日本兵の多くが捕虜になることを許されず餓死、病死したことなど悲惨な事例をあげながら、こんな時代を正当化し日本をこの時代に戻そうとしている人々がいると強く批判していました。

 講演者の全てが私よりも高齢で、それでもなおこういう情熱を持って訴えているのを見ると、人生まだまだこれからだとも思いました。

最後に司会者からこの集会の参加者が9500人と発表されました。多くの参加者がそれぞれ自分の周りの人々に訴えていけばさらに大きな力になると思いました。

 

O-4

「負けないで あなたの中の 正義感」

2005.7.9

下丸子 M.Y

 私の住んでいるマンションの集会室の前にある掲示板に、近隣の小中学校の生徒が作った川柳が5
貼られている。そのうちの一つ、矢口中学校の生徒の作、「負けないで あなたの中の 正義感」。
 この句に目を留めた人々の感じ方は 十人十色だと思うが、私の頭に浮かんだ光景は、教室内で
クラスメートがいじめに会っている、ほとんどの生徒は知らん顔、助けたいが、自分がやられるのも怖いし、
勇気が出ない、結局何もできなかった、しかし、 自分の中の正義感のような物がうしろめたさを感じさせる、
今度同じ様な事に出会ったら、知らん顔するのは止めよう。
こんな一人の中学生の姿だった。中学校を舞台に繰り広げられている数々の痛ましい事件を考えると、
そう的外れの妄想ではないと思う。 
 私が、大田たまがわ九条の会準備会のチラシを見て、憲法九条を守るアピールに賛同署名し、その後
知り合いから署名を集めるに到ったのは、私が頭に描いた あの中学生の気持ちと同じだった気がする。
学校一腕力の強い先輩を連れてきていじめている生徒をやっつけてもらうのではなく、和解の為に
話し合おうと持ちかけようという決意。

武力に頼らずに平和を作り出すことに希望が持てなくなったら 自分の人生も暗闇になってしまう気がする。

 

O-3

 自衛権は必要という人も

2005.7.5

下丸子 K.

 日本国憲法は、素直に解釈すれば、「戦争を放棄し平和を希求するために、戦力を保持しない」となり、自衛の為の戦力も否定していると思います。
これは、国際紛争の解決のためであっても、武力を使うことを選択肢にすべきではないという第二次世界大戦の教訓から導かれたものだと思います。

しかし、私は、真摯で善意の人の中にも、「自衛権も放棄するのか?」という疑問が存在すると思います。
現在は、世界の中には「人民主権」「法治主義」でない国が残念ながら存在します。
こういう中で、「国として自衛を放棄するのは無責任」という考えは、一定の説得力があります。

そして、「戦争をしてはいけない」と思っている、真摯で善意の人のなかで
・自衛の戦力も放棄すべき
・厳重に自衛の範囲の最小限かつ国土内に限った戦力は必要
という、議論に分かれてしまって、結果的に現在の「改憲勢力」の狙っている方向に世論が流れてしまうことを、私は危惧します。

現在の「改憲勢力」は、自衛を口実に、集団的自衛権まで拡張し、最終的には海外で戦力を行使するところまで画策していると思います。

私は、限定的自衛の戦力は保持すべきと考える善意の人達にも、輪を広げ、現在の「改憲勢力」が狙っている九条改悪を阻止する運動が必要と思います。
その為には、まずは「改憲勢力」の狙いを正確に分析することではないでしょうか。

 

O-2

 九条の2項は前にしたほうが良い

2005.7.5

矢口 A

戦後、国体護持(天皇制維持)ということが根元にあって日本人自身の手による戦争の総括がができなかった。
それがそれこそ「拉致問題」を含むあらゆる戦後の問題に影を落として来たわけで、総括を出来なかったというよりしなかったということでしょう。 (天皇の責任を問うことは出来ないのですから)
本来なら、日本人自身による憲法を持つべく憲法全体を見直す時が来たということでしょうが、そうなれば「改悪」を予想される、というのが今の国情であり、日本人の引きずるトラウマではないでしょうか。そういう意味においては「九条の会アピール」もイビツな形と言わざるを得ませんがこういう形をとらざる得ないというのもつらいところではあります。悲しくもあり、情けない。

九条の条文の@とAはどうも順序が逆なんじゃないのかと思うのです。
まず@日本国(民)は陸海、空軍その他の戦力は保持しないとあって
Aそれは正義と秩序を基調とする国際平和を願うからであると続けるべきではないでしょうか。

意見として このことを申し述べたいと思います。
新しい条文を是非提案して下さい。そこまではやりませんか。

 

O-1

 靖国、歴史認識と憲法改悪への道

2005.6.21

事務局・若林徹

 靖国問題が話題になっています。小泉首相は、戦没者を弔うのは当たり前だとばかり、内外の批判に耳を貸そうとはせずに、靖国神社参拝を続ける姿勢を変えていません。参拝を公約しているからということもあるでしょうが、日本の侵略戦争であった15年戦争(太平洋戦争)を肯定しようとする、為政者の強烈な意思を感じます。

 これに対して、NHKの6月の世論調査によれば、49%もの人が、「首相は参拝をやめたほうがよい」と答えており、「続けたほうがよい」の38%を上回っている。まずはほっとします。しかも、昨年12月の調査では「続けたほうがよい」が46%、「やめたほうがよい」が38%だったので、参拝中止を求める世論が広がっています。しかし同時に、今回、「やめるべきだ」の理由の59%は「中国や韓国との関係に影響が出るから」で、現在の中国や韓国との関係(とりわけ経済問題)を問題にすること自体は正当な論拠の一つですが、先の戦争が何だったのかという歴史認識自体は、依然あいまいなままです。

 靖国問題がこれだけクローズ・アップされているにもかかわらず、マスコミでは、靖国神社そのものの性格や15年戦争が何だったのかを、正面から取り上げる報道はあまりありません。また、町の書店の歴史書コーナーに行くと、近現代史のまともな歴史書などはろくに並んでおらず、「新しい歴史教科書をつくる会」のメンバーの本がところ狭しと平積みされていることに驚かされます。学校では、近現代史などは、ほとんど教えられていない状況だといいます。これでは、若い世代に事実に即した歴史認識をしろということ自体が無理な注文です。こうして、形づけられる歴史認識(のなさ)のうえに、憲法改悪、教育基本法改悪が待っている、今そのための地ならしが着々と行なわれているなと感じます。

 大田たまがわ九条の会準備会では、「戦争体験を聞く会」を開催しましたが、これからも戦争体験を風化させないための企画を検討中です。それは、以上のような実情を踏まえてのことです。
特に、若い人たちに、15年戦争の実態と平和、日本国憲法を守ることの大切さを訴えたいですね。
若者に、声を届かせる方法・行動と、彼らの心に響く言葉を捜さなければならないと痛感しています。

 

ひとこと広場のきまり

「ひとこと」は、メールでも手紙でも構いません
字数は写真を含めて1000文字以内に収めてください
文章や写真などとともに住所、氏名を記してください できればタイトルもつけてください
匿名希望者はその旨と公開希望名を記してください
内容は基本的に自由です 疑問、問題提起、反論なども含め、何でもお寄せください
誹謗や中傷など、このホームページの趣旨に反する内容は、掲載をお断りすることもあります
投稿先 郵送:〒146-0092 大田区下丸子2-24-10-1-710 小林稔治 方
メール:info_ota_tama9@yahoo.co.jp    文章送信のフォームを用意しました